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2019年03月03日|お知らせ
喧嘩しない戦略、若しくは口喧嘩世界最強という話。
午前7時45分起床。浅草は晴れ。
11月22日の夜のことだが、若いお客様が来られ、児玉、末っ子とはしごをした。呑みながら、そして食べながら話していたことは、喧嘩しない戦略、若しくは口喧嘩世界最強というような、他愛もないことだった。
口喧嘩世界最強はお客様の口から出た。不意にその言葉を聴き、私は、おっ、と思った。どこかで私が言ったことを覚えていてくれたのだろう、と思うと、なにかうれしかった。
確かに、私は、口喧嘩世界最強を目指して日々精進しているが、それは喧嘩をするためではなく、喧嘩をしないためにだ。
ぶっちゃけこの歳になると、どうでもよいようなことで対立するのことが面倒くさいのである。私の残されたエネルギーは(私の考える)もっと前向きなことに使いたいのである。
そのために、対立しない方法というものを考えてきた。
それはキアスムであり、神話のアルゴリズムのようなものだ。つまり、対立しない方法は、言葉にすれば簡単なことで、まずは相手に近づいてしまう。
でもそれは〈私〉が相手に近づくことで、相手を〈私〉に近づける(土俵にのせる)ことでもある。
そのとき必要なのが、口喧嘩世界最強なのだが、それは相手を言い負かせる、ということではない。
それは受けの強さのことだ。
プロレスでいう受である。まずは相手の技を受ける。
相手を立てながら、我が身も立てる。つまり相手の話に耳を傾ける、情報を見る。そしてその情報を柔軟に対応する、という受け(つまり〈私〉自身)を強くする、ということだ。
たぶんそのことで対立は起こりにくいのは、当たり前と言えば当たり前のことだろう。(プロレスでは「かみあう」という)。
つまり対立は、なによりも自分(私)の弱さの表出でしかないのだから、と(私は)思う。
それは情報を見る能力と情報を発信する能力の関係のようなものなのだけれども、それを今更説明するのも面倒なので、いつも私はメビウスの帯1/2切断×2モデル的に情報を発信しましょう、と言っている。(つまりはブログ化)
しかしコミュニケーションは、〈情報/伝達〉の差異の理解でしかないわけで、とすれば、(自ら情報を発信していれば)かならず対立のようなものは起こる。
多くの方々は、それが対立だと思ってしまうことで溝を深くしてしまうのだが、じつはそんなものは対立でもなんでもない。ただのコミュニケーションなのである。
そう考えることで、対立しない方法は機能する。
言ってしまえばこんなものなのだが、いざ実践しようとすると、これが意外と難しい。
それはなによりも「相手を立てながら、我が身も立てる」のだから、「立てる我が身」がなければどうしようもない、というところに収斂してしまう。(「だれでもできるから公共事業」というところからはじめなくてはならなかった建設業のIT化の難しさはここにあった。公共事業という産業の「立てる我が身」とはなんなのか、と)。
ただそれが面子とか体裁のようなものであるなら(閉じた世界ならともかくも、このひねられて無理やり外との接続を強制されるような今という時代では)対立を解消しようとしながらも、それとは逆の方向、対立を深めてしまう方向にエネルギーが放出されがちなので、多くの場合、対立はさらに深まってしまったりするものだ。
そんなときにこそ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、なのであるが、それがわかるのも、受けを強くしておくぐらいしか方法はないのよ(つまりは、メビウスの帯1/2切断×2モデル的に情報を発信こと)、というような、なんだか、わかったような、わかわからない話をしていたのである。(笑)
Written by : 2007年11月26日 10:19: Newer : Older
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