私たちが政治に対して情熱――というか興味を失わないでいられるというのはどういうときなのだろうか。
それは(純粋な?)主義主張というようりもむしろ「私」もしくは「われわれ」の利害を代表するものとしての政治のあり方であって、「私」もしくは「われわれ」の利益が(政治的に)傷つけられていると感じるときではないだろうか。
その意味であたしは利益誘導型の政治を否定することはなく世襲制だろうがなんだろうが地元のために働けなのである。
しかしテクストにとってある政治的な立場をとることは言語活動の停止でしかなく、けれど言語活動は復活してしまう。政治的なステレオタイプで。
最近政治をあまり語らないのは語る必要がないからなのか、面倒になったのか、諦めたのか、そのすべてがあるように思うけれど、であればこのブログは幸せ(退屈)なはずであるがさほど幸せでもない。ただ自民党と民主党はたいして変わらない。小沢さんが辞めてもたいして変わらない。とだけ繰り返す。政治的なステレオタイプで。
Fx(a):Fy(b)~Fx(b):Fa-1(y) (:はアナロジー関係)
神話のアルゴリズム(キアスム)※1
ついでに書いておくと、対立しない方法で相手を取り込んでしまおうとする戦略は、対立相手を取り込んでしまった途端に、また分裂に向けてひねりが始まってしまう。
まあ、それが組織のダイナミズムなのだし、その意味で自民党は昔の自民党には戻れはしない。
そしてそれは、小沢さんが民主党とくっついてからの(民主党の)動き、と言うことでもある。※2