『日本精神分析』 柄谷行人

日本精神分析

柄谷行人(著)
2002年7月30日
文藝春秋
1333円+税


午前7時40分起床。盛岡は晴れ、けれど冷え込んでいる朝だ(ついでにあたしは酷い二日酔いである)。

エンデの遺言―貨幣・手紙・距離化・信用・地域通貨。」に、江弘毅から長文のコメントを貰っていた。それは「内田せんせの文コピペ」なのだけれども、そこで触れられているのが、柄谷行人さんのNAMだったりする。

これにはどこかで心当たりがあったのだが、それがなんなのか思い出せないでいた。それで、うちにある柄谷さんの書籍を引っ張り出し、ようやく(というほどでもないが)みつけたのが、『日本精神分析』という1冊で、それは今回の旅の友となった。

この本には「市民社会の小さな王国」という一章があり、谷崎潤一郎の『小さな王国』という短編小説が引用されている。それは(柄谷さんにとっては)とても重要なものであるらしく、(『日本精神分析』は)その谷崎の短編小説を、資料として丸ごと載せていてくれたりしている。

『小さな王国』は、主人公は小学校の教師で、彼のクラスの転校生――東京から流れてきたらしい職工の息子――が、腕力でも、学校の制度からでもない理由で権力をもち、やがて自分たちだけで通用する通貨を発行するはなしで、その貨幣システムを批判していた主人公が、やがては自らの貧困故にそのシステムに取り込まれていく。

柄谷さんは、この小説をベースに、LTESやQ通貨といった市民通貨の可能性をプレゼンテーションしている(Q通貨もNAMUも失敗したけれど)。

あたしはだいぶ前に、この『日本精神分析』を読み、「市民社会の小さな王国」も読んだけれど、たいして興味が沸かなかった(なので書評も感想もこのサイトにはない)のは、そもそもあたしが、地域通貨とか市民通貨というものを、景気対策の道具ぐらいにしかみていないからだろうし、あたしの戦略はいつでも、「とりあえずはこの巨大な動きの中で流れて、それ以上のスピードで流れていくことで独自性を保っていくことが一つの方法になるかもしれない。(川俣正:『アートレス>』:p45)」でしかないからだろう。

江弘毅は、どこかで「俺は革命家になりたかった」と言っていたけれど、あたしは革命家である気はさらさらなく、ただ環境に依存しながら生きているヘタレだ。

地域通貨とは、理論的にいえば、国民国家を担保とした、貨幣の持つ匿名性や「数の原理」、そしてクラインの壷的な貨幣の運動からの自由と、同時に共同体性の担保すること、とでもなるのだろうが、つまりそれは国民国家のオルタナティブである。

つまり貨幣に必要なのは「信用」なのであり、信用は「権力」である。その権力から逃れることが出来る場所がアジールなのだけれども、アジールが機能するのは、単なる共同体でなく「組合の原理」が働かなくてはならない。

その「組合の原理」を体現しているのは、広義の自営業者なわけで、それはあたしらが「街的」とか「町内会」と言っている処の人たちである。そこは『小さな王国』なのであり、信用(権力)がある。町内会長もいる。そこでは地域通貨は機能するだろうし通貨なんてなんでもいいのである(たぶん)。

つまりツケが効く店をあなたは持っているか、ということであって、それは地域通貨をべらぼうに超えている。 

けれど「消費者」である「みんな」が、地域通貨や社会通貨を手にしたところで、それは単なる消費の道具でしかないのだから、国民国家を担保にした通貨と、なにがどう違うのだろうか、と。それは期限と地域を限定することで、特定地域の消費を向上させるための道具でしかないだろう(だから景気対策で行うには否定はしない)。ということで、今日は新宿でそういう勉強会に参加する予定。