左からあたし、今は亡き石原理事長、そして熊本市長選挙に立候補している大橋元熊本県議、あーあたしがまるで別人のように元気なのだ山鹿市管工事業協同組合創立40周年記念式典祝賀会での記憶


山鹿市管工事業協同組合創立40周年記念式典祝賀会での記憶

午前5時55分起床。浅草はくもり。金曜日の夜は「山鹿市管工事業協同組合創立40周年記念式典祝賀会」だった。ここであたしは表彰を受けたのだが、その件は後程アップしたい。

それよりも懐かしい写真が貼り付けられていた。それが上の写真だが、これは懐かしい。左からあたし、今は亡き石原理事長、そして熊本市長選挙に立候補している大橋元熊本県議、あーあたしがまるで別人のように元気なのだ。

それゆえ、「写真」のノエマの名は、つぎのようなものとなろう。すなわち、《それは=かつて=あった》、あるいは「手に負えないもの」である。 (ロラン・バルト:『明るい部屋―写真についての覚書』:p94)

バルトの天才は正しく思える。《それは=かつて=あった》、あるいは「手に負えないもの」。あーなんという名言。例えあたしがここで「手に負えないもの」と化していても《それは=かつて=あった》一瞬の煌めきに過ぎないのだ。その記憶さえ曖昧なあたしの脳味噌の中で、写真は益々雄弁に語りだすのだ。