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2019年03月03日|お知らせ



『桃論』のWeb化は、ようやく折り返し地点まで来たけれども、なにかいいことがあるわけでもない。

桃論
[桃論]

午前7時起床。浅草は晴れ。

『桃論』のWeb化

桃論』のWeb化を企んでから4ヶ月、ようやく「第3章」までの作業を終了した。 それは全体の約50%が終わったということで、(ブログの更新を頻繁にしている私にすれば)なんとものんびりした仕事ではある。

まあ、この作業を通して何かを改めて主張しようとしているわけでもないので急ぐ理由もない。時間の許すとき、できるだけの量を、坦々と更新している。

そして作業をしながらテクストを読み返し、その拙い文章はともかくも、2002年の私は、結構面白いこと書いているな、とまるで他人事(読者)のように楽しんでいる。 

今後テクストは、その内部のあらゆるレベルから作者が姿を消すように作られ、読まれることになる。テクストとは、一列に並んだ語から成り立ち、唯一のいわば神学的な意味(つまり、「作者=神」の《メッセージ》ということになろう)を出現させるものではない。読者の誕生は、「作者の死」によってあがなわなければならないのだ。(「作者の死」:ロラン・バルト

バルトの言うようには、簡単にはいかないのだけれども、この作業は、過去の遺物のようなテクストを、今の技術でWebに晒したら面白いだろうな、という思いつきではじめただけのことだし、本音は、他の誰かがやってくれればいいな、なのであるが、誰もそんなことをしてくれるはずもないので、自分でやることにした、というだけのことだ。

つまり、こんな作業にたいした意味はないし、何か意味づけしようとしても、それは単なる独り善がり(自己欺瞞)にしかならないだろう。

半分晒したところでのWeb化の成果

そして、予想通りに、なのだけれども、Web化の効果は、今のところさっぱり見えやしない。江弘毅に酒の席で褒めてもらったぐらいである。(笑)

ただ、(私には)これだけはどうしても譲れない、ということはあって、それはアクセス数は増やす、と言うことだ。

私がブログを開設している狙いは、「技術的に偶有性を高める」の実証でしかなく、それは第一義的にアクセス数としてしかあらわれない。

そのテクストに〈私〉は居なくてもよいのだが(むしろいない方がよい)、(Webに晒すことで)勝手に一人歩きしたテクストは、せめて誰かに届いてほしい、と願うのだ。

しかしそれ(アクセス数)も(今のところは)書籍の販売数同様少ない。w

それは致し方ないの無い事なのだろうな、と思う。

そもそもIT化で公共事業という産業をなんとかしよう、等と考えているこのテクストが、その文脈で、新しい読者を確保するのは難しい。

この国で、そんなことを考えている方々は、今や絶滅危惧種なのであって、トキイリオモテヤマネコよりも希少種なのだからね、と。

しかし「技術的に偶有性を高める」とは、そこからのチャレンジでしかないのであって、私はめげることも諦めることもない。

検索エンジンへのキャッシュ状況は徐々に上がってきてはいるし、そのキーワードはある意味豊富である。

ただ、そのキーワードが常人の脳みそに浮かぶのか、と言う問題はあるが、GoogleのPageRank は何故か「3」と検討してもいるので、そのうちアクセス数も伸びるだろう、などと暢気に構えていたりする。

そして、Webが教えてくれているのは、リアルな世界でうまく出来なかったことが、Webの世界で急転することもない、という当たり前のことなのだろうな、とも思うのだが、それでも「機械的に偶有性を高める」は機能するだろう。

ただキアスムは時間軸に沿った変化であるように、それには時間はかかる、と言うだけのことだ。この作業は[メビウスの帯1/2切断×2モデル]なのだね。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2007年11月21日 10:19: Newer : Older

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