チロルチョコ きなこもち
チロルチョコ きなこもち


チロルチョコ きなこもち午前7時起床。浅草は晴れ、快晴である。抜けるような青空が広がる一日。アメ横のお菓子の二木チロルチョコのきなこもちを箱買いしてきた。

箱買いしたのは箱でしか売っていないからであって、つまりこれはチロルチョコの大人買いではある。けれども「対象に近づきすぎて欠如そのものを失ってしまいそうな危険が不安を引き起こす私の中の子供」ではない。

つまり食べたかったから買ったのである。「お前さん歳は幾つだい」と言われそうだが、単純にこれはうまいと思っていてるのだからしょうがない。つまりこの手の話題のときに必ず引用するスラヴォイ・ジジェクのことば

なぜなら〈対象a〉とは、まさにその歪曲の、つまり、欲望によっていわゆる「客観的現実」の中へと導入された混乱と錯綜の剰余の、具現化・物質化以上の何物でもないのである。〈対象a〉は客観的には無である。だがそれは、ある角度から見ると「何か」の形をとってあらわれる。(スラヴォイ・ジジェク:『斜めから見る』:p35)

は今回はあてはまらない。かといって私にチロルチョコを語る薀蓄があるわけもなく、ただ私はこれを食べ、珈琲(モンカフェ)を飲み、本を読んでいる時間が好きだというに過ぎない。

しかしそれは、そういう時間を欲望しているということでもない。なぜなら対象に近づきすぎて欠如そのものを失ってしまいそうな危険が不安を引き起こすわけでもないからだ。むしろそれは逆であって、もっと身体的な欲求レベルのものだろう。

私はただテクストの快楽を享受する。そのとき〈苦い/甘い〉という味覚という快楽の享受も同時に気持ちがいいのは、脳みそのどこかでこの快楽がつながっているからだろう。ではなぜその時間にチロルチョコが必要なのか、そんな難しいことはわからない。単純に脳みそがブドウ糖を要求しているだけのことかもしれないしね。そんなものでこのエントリーはこれ以上のテクストを持たないのだわ。

二木の菓子ビック館
台東区上野4-6-1
03-3833-4051
二木の菓子ビック館
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