「構造改革」の前と後では日本の大企業はこれだけ変わった
――2つの景気回復期の収益配分方法をみる――

1986~90年増加率
(名目:%)
2002~06年増加率
(名目:%)
従業員の給料+福利厚生費 (1人当たり) 19.10 -3.1
役員の給料+賞与 (1人当たり) 22.20 97.30
(2001~05年)※1
配当 1.60 192.40
研究開発費(注)3 51.40 11.10
(2001~05年)※2
5年間の利益のうち
内部保留分の配当分に対する比率
1.78倍 0.55倍

(注)1.会社法改正による役員賞与の会計年度変更で06年数字なし
   2.06年数字は未発表
   3.研究開発費以外のデータは、金融業以外の資本金10億円以上の企業
    (1986~90年)は約2000企業。2002~06年は約5000企業)
(出所)研究開発費は『科学技術白書』、その他は財務省「法人企業統計」
(引用:週刊エコノミスト 2008年1月8日号:p49)


午前6時45分起床。浅草はくもり。「日本型資本主義」を悼む―惜しい制度を亡くした……」これは昨年暮れに購入した週間エコノミスト2008年1月8日号に掲載されていたロナルド・ドーアの寄稿文の題名である。ロナルド・ドーアはロンドン大学LSE名誉フェローという肩書きだが私は彼を知らない。知らなければ理解しようとするのは本能のようなものだが、そのために以下のテクストは引用ばかりになってしまった。そんなテクストに〈テクストの快楽〉などあるはずもないのはご勘弁いただきたい。しかし一言付け加えさせていただけるのなら、たしかに日本型資本主義には欠点も多かったけれど(それは〈種の論理〉同様にだ)、しかしそうであっても「惜しい制度を亡くした……」とは、うまいことを言うものだなと思う。

まず上の表を指してドーアは言うのだ。

この表は経営者層と一般従業員の間の「楔」の入り方を示すと同時に、配当の欄には、従業員主権企業から株主主権企業への移行が示されている。株主へのサービスのもう1つの形である自社株買いは、02~05年の5年間に配当と同程度おこなわれたと推測されている、研究開発費と内部留保の対配当比率は、昔の日本企業の特徴であった。長期的展望にたった戦略の後退を物語っている。
”亡くなった”日本型資本主義は、やはり「惜しい制度だったな」と嘆いていいと思う。(p49)

それはは村上泰亮の言う開発主義―特に〈企業の開発主義〉の終焉のようなものだろう。

技術革新は、ノウハウの考案、企業メンバーによる学習、組織の改変など必然的に伴うが、それらは人間(経営者から末端の作業者までのすべての階層の企業メンバー)の中に、いわゆる「人的資本(human capital)として体化され(蓄積され保持され)なければならないだろう。(村上泰亮:『反古典の政治経済学要綱』:p181)

さらには

人間がマニュアルに勝る理由は、変化への機敏な対応能力という点にある。(村上,p181)

結果的にグローバル化、金融資本主義化がもたらした時給850円(ドーアは「アルバイト1時間700円」と言っている)の繁殖は、これ(企業の開発主義)を絶滅危惧種化している。企業は競争力という御旗の下にリストラ的に賃金の圧縮に躍起なわけで、企業の開発主義など二の次でしかなくなっている。つまり長期的展望はない。

その圧力は中小企業により強く、ましてや昨今の原材料費の高騰を価格に転嫁できない中小企業はなおさらのことだ。そのことでさらに二極化は進む、というか日本経済を下支えすべき中小企業の競争力は弱まるばかりだ。結果、グローバル経済に接続している(大)企業を持たない地方経済の疲弊はどうしようもなく、赤字の自治体ばかりが増える。

と同時に、小さな商店がやっていけない街は中央資本に食い荒らされ、郊外化の残骸と化しミクロ的な共同体(たとえば「街的」)も衰退する。地方の衰退、ミクロ的な共同体の衰退こそがこの国の国力弱体の象徴なのだ。これを個人の責任に帰するなら、今の時代に政治も官僚も存在する理由をもたないだろう。その大小の差はあるが如何なる体制においてもマクロ的に「社会」の代理人である国家は市場に介入する(それが〈類〉である)。

日本型資本主義は市場に「心」を取り戻した

経済に対する意見はその人の主義主張、置かれた立場、もしかしたら生まれ育ちによっても夫々であり、たぶんどれも正しくて、どれもが間違っている。私の関心事は〈交換の原理〉によって共同体の破壊が進む今と言う時代に、〈共同体性を担保しながら如何に経済活動に接続するのか〉であり、つまり〈(今と言う時代の)超合理性は如何にして可能なのか〉ということでしかない。

それはミクロ的な共同体性の必要性をいう。だから「街的」を考えている。「街的」は村社会ではないミクロ的な共同体性だからだ。そしてそれを破壊しようとする経済政策には反対してきた。つまり私の関心は経済<社会(文化)である。しかしそれを切り分けることはできない。だから悩ましいのだがこれに関連するドーアの分析も面白い。

(ミクロ的共同体は)……そのままでは復活し得ないにしても、形を変えれば、工業化を遂げながらも保存・復活できるという証拠を示したのが、「日本型資本主義」だった。ここでは「形を変えた」ということには、二重の意味があった。
1つは、日本型資本主義は、企業内の人間関係を村社会のそれに近い共同体的なものにしたのだが、大きな違いは

  1. 生まれた土地による運命共同体ではなく、学習・学歴・就職という過程を経た相互選択共同体であったこと、
  2. 地主、自作農、水のみ百姓というヒエラルキーに比べ、役員、部課長、現場労働者などのヒエラルキーのほうが、より綿密に制度化されていたこと、の2点であった。

もう1つは、村社会における家と家との関係が、組織と組織との関係に置き換えられたことである。たとえばトヨタ自動車の外注部長と協力会社の販売部長は、2人とも就任したばかりで個人的に会うのは初対面かもしれないが、2者間の関係は、それぞれの会社の利益計算ばかりでなく、長年の取引から生まれた「会社間義理」にも規制されている。X企業の財務部長と銀行のX係の係長もしかり、かつての銀行の「MOF担(大蔵省担当)」と大蔵省の役人もしかり。(p47)

つまり社会と/経済を対立させずに、社会が経済を下支えしてきたのが日本型資本主義だということだ。これはその社会が殆ど機能しなくなった今でも一人歩きする不思議な記憶となっている。日本経済を悲観的に語る意見でも、日本人のもつ地勢的・文化的有利性(さらには日本人の優秀性などというもの)を持ちだすことはよくあることだ。例えば建設業の他業種への転換なんていう政策は、そういう下敷きを当てにしなければ、ただの役人の責任逃れか詭弁でしかなくなってしまう(たぶん詭弁的責任逃れであることで〈官製不況〉なのだろうけれども)。

世界第6位の経済水域に囲まれ、外敵の進入を受けにくい国土、世界最速の成長を続けるアジアの中の位置、変化に富む気候と森と田畑と川と海の循環を守ってきた歴史、こうした基礎条件が砂漠になった多くの大文明との決定的な差です。資源と環境を守る国民性は、経済優先の風潮の中でも生きています。/(略)感性と芸術性を合わせた独創性でも、世界に冠たる民族です。茶、花、庭、盆栽、焼き物、日常生活を芸術に高めることでは世界の追随を許しません。アニメや漫画、ゲームなどで世界の若者が熱狂するカルチャーも生み出します。/世界のいいものを自分のものにする力も持っています。ミシュランは、東京に最大の星の数を与えました。世界中の料理を自分のものにできる民族は日本人だけです。この点では、世界一柔軟な国民です。引用:[高成長に戻る世界経済と取り残される日本 (山崎養世の「東奔西走」):NBonline(日経ビジネス オンライン)]

山崎養世は言う。日本人の楽観の典型だと思う。しかし私は日本人のこのような特性を否定しない。むしろ積極的に〈考える技術〉に取り入れてきた。この特性はまだ私たちに残っている(と思いたい)。しかしこれも一朝一夕に成し得たものではないのである。それは気の遠くなるような長い時間をかけてつくりあげ維持してきたものなのだ。そして構造改革以後私たちが一挙に失ったものとはこれなのだ、ということは理解しておく必要はあるだろう。ピエール・ブルデューはこう警告していたではないか。

私がその結末を目にすることは絶対にないでしょうが、そんなに大きな危険もなく告知することができると思います。あらゆる集団的構造――家族、アソシエーション、国家――のこうした破壊のプロセスを長引かせておくなら、いまだかつてまったく見たこともない知覚不可能な結果――都市部における暴力等、その徴候はすでにあります――が出現するのを目の当たりにすることになるでしょう。/一方の手で節約(経済化)したものの代価は、他方の手で支払うことになるのです。実施されつつある破壊プロセスの影響はかなり経ってからでなと分かりません。時間をかけなくてはならないでしょう。(『政治―政治学から「政治界」の科学へ』)

構造改革が市場から「心」を抜いた

ドーアは「構造改革が市場から心を抜いた」と言う。それに異論はない。たぶん市場から心(第二種の情報)を失ったことで、私たちは上記のような特性とその優位性をも失ったのだ。ではなぜ構造改革(ドーアの言葉では「改革の10年」)は行われてしまったのだろうか。それにについてドーアは以下のように述べている。

  1. バブル破綻後の国民的自信の喪失のなか、市場合理性を体現する米国を成功モデルとして仰ぐ気運。
  2. 新古典主義派経済学および株主主権主義をうのみにして、アメリカ留学から帰ってきた経済学博士・会社法専門の法律家などが、政府の審議会を牛耳り始め、それに呼応して、米国でMBA(経営学修士)を得た大企業の若手幹部・経営部門の官僚が、部長・局長級に昇格してきた。
  3. 競争より協力を重視する慣行は、普段は生産的協力をもたらすが、他者を害するカルテルや、法的規制を侵す方向での協力(政治家がらみの談合など)や、既得権乱用などの弊害――つまり、ホンモノの縁故資本主義的行動――に導く誘惑も内在している。常に公正を保障するルールおよび、ルールを強制するそれこそ義理にも人情にも影響されない審判者が必要である。そのルールを侵す不正事件が、90年代前半に――実際に増えたのか、バブル崩壊後の国民的自虐ムードのためなのか――メディアえ大々的に取り上げられた。
  4. 持ちつ持たれつの関係を嫌い、義理・忠義の束縛から解放されようとする、より個人的で自由なライフスタイルを好む人や、多額の銀行預金があって持ちつ持たれつの関係がなくとも困らない人が増え、メディアにも個人主義的な価値観が反映される度合いが高くなった。つまり、明治維新後依頼の社会の個人化、思想の個人主義化傾向の累積的効果。
  5. どの国でも不景気の時には労働配分率が高くなり、資本配分率が減るものだが、終身雇用が普通だった日本では、資本配分率がことのほか大きく減少した。バブルまでの長年の資産インフレで得をしてきた(多くの政治家も含む)資産家階級にとって、キャピタルゲインがキャピタルロスに転じるうえに、資本配分率まで大きく減ることは、耐え難いシステムの機能不全と映った。
  6. 戦前派、戦中派の経営者の多くは「庶民的な」履歴をもつ貧乏経営者だったが、最近は裕福な家庭で育って安易に出世コースに乗った中流出身の経営者に世代交代した。彼らは高卒の部下を「別人種」のように見ている。
  7. かつての従業員主権的な、企業を守る力になるはずだった労働組合の衰退。戦後の闘争的労働運動の経験者が組合を去る一方、教育機会がより均等になるなか、指導力のある人材は大学を出て経営者候補となるケースが増えたことが大きい。

つまり小泉構造改革を行わせたものはそれに先立つ〈開発主義〉の中にあったということだろう。それはなによりも〈考えない〉という習慣としてだ。構造改革支持した方々は深く〈考えて〉そうしたわけではない。TV村(メディアを中心とした閉じた円環)の住人として井戸端会議に興じただけのことだ。かと思えば、ついこの間まで小泉改革、市場原理、官から民、を絶叫していたテレビの声は極端に低い。小泉チルドレンに同情する人も今やいない。しかしそうさせているのもほかならぬ〈私〉なのである。そしてそんな〈私〉をつくりあげてきたのも日本型資本主義に他ならない。

とは言っても根こそぎ破壊してしまう必要はなかった。私たちはじつに「惜しい制度を亡くした」のである。