あしかが美人 とちおとめ
あしかが美人 とちおとめ


午前7時50分起床。浅草はくもり。かなり冷え込んでいて予報は曇りのち雪。最近は雪ばかりみているような気がする。サッシの窓枠には結露。一日に何度も雑巾で拭く。引越しして増えたあたしの雑用である。

昨晩、足利の吉田さんから苺が届いた。あしかが美人 とちおとめである。

「とちおとめ」は漢字で書けば「栃乙女」になる。

しかしこれだと、まるで春日野部屋の力士の四股名になってしまう。栃木県足利市出身、春日野部屋、である。力強さはあるけれども、イチゴのネーミングとしてはいまいちである。これはひらがなで書くのが正解だと思う。

さらに漢字の苺(イチゴ)は、くさかんむりに母と書く。それは果実が乳首のようだから、という説もあるが、あまいのはそうだとしても?、こんなにでかくて赤くては興醒めなのである。比喩としてはあんまし褒められたものではない。

練乳をかけて食べれば乳だろう……、アホか、である。

苺の母の意は、どんどん子株を産み出すからだ。つまりは苺は豊穣の草であり母性そのもののメタファーである。その豊穣の力こそが苺の魅力なのだ。

その豊穣性を内包しパンパンに張った果実は、その香りとともに、成熟した女性を思わせる。まぁ、こんなエロチックな果物もそうはないだろうな、と思う。

浅草に住んでいるあたしにとって、苺は「とちおとめ」なのである。熊本県産のも時々みかけるが、圧倒的に「とちおとめ」なのである。

建設業の新分野進出でイチゴの栽培、などというのを聞いたことがあるが、首都圏でこの「とちおとめ」と競争するのは並大抵のことじゃない。(たぶん)これは中国でもつくれないはずだ。

「とちおとめ」は、クリスマスの頃から店頭に並びはじめ、いまはハウスモノの旬、ということになるだろうか。そして初夏にはまた旬を迎える。

それは季節感がないのではなく、いまという時代の季節感でいいのだと思う。子供の頃、路地に生えた苺を摘んで食べた記憶の持ち主は、ハウスの中のイチゴ狩りしかできないことをつまらなくは思うが。