桃知商店よりのお知らせ

「ここにいる私は逃げも隠れもできない、公としての自分を晒す事になるわけです」と平野専務は云った。

『平野建設株式会社 専務のひとり言・・』 - 初めまして!専務の平野です♪
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午前7時起床。浅草は晴れ。ちょっと頭痛のする朝で、からだもだるい。風邪でもひいたのかしら、とボーっとしていれば、そんなことはおかまいなしに、岩見沢の平野専務ががんがんと書いてくる。

そもそも、mixiすらまともに続けられない私にブログなんてできるのか?そんな疑念があったのですが、実際に協会内で先行して始めさせていただき、あっという間に考え方が変わってきたところです。

ここにいる私は逃げも隠れもできない、公としての自分を晒す事になるわけです。

平野さんのいわれる「公としての自分」とは、「われわれ」としての「」なのだと思う。

「公」は西欧でいえば「public」であって、その対義語は「私的 private」とされる。たぶんいまは、この対立概念で「公/私」の関係を考えている方が多いことで、(会員が自主性を持って参加する)協会ブログや、(社員が自主性を持って参加する)会社ブログは難しくなる。

一方、つながる窓を持たない粒としての「個」は、想像界的接続を求めることで「個」のブログは大流行だ。 

けれど、岩見沢生活空間創造システムは、これとは違う「公/私」概念で運営されている(というか、まだ開発期間であって、正式運用はしていない。まぁ、Web2.0は永遠のβ版ではあるけれども)。

それはきわめて日本的な「公/私」の関係だといってしまえる。(しかしフフランス人のベルナール・スティグレールも同じようなことをいうのだから、「日本的」というのも偏狭なものいいかもしれない。今回は便宜的、このいい方を使う)。

オオヤケとは、農村共同体の施設を意味する「ヤケ」という語に由来し、オオヤケとは最も大きな「ヤケ」である。それが転じて、共同体の首長や共同体そのものを意味するようになった(@吉田孝)。そしてそれに中国伝来の文字である「公」が適応された。

一方、「ワタクシ」とは、そもそもは、各住居の中で、女性に許された最小限の財産のことでしかない。つまりなにがいいたいのかというと、「公/私」は、そもそも(日本的には)対立の関係ではない、ということだ。

日本的な「公/私」の関係を図式すれば下のようになるだろう。

公 共 私

(日本的な)「公/私」の関係は、対立しているものではなく、相対的なものでしかない(同心円上にある)。

平野さんからみれば岩見沢建設協会は第一義的により大きな共同体としての「公」である。そして平野建設は最小単位としての共同体=「共」であるだろう。しかしその「共」はほとんど「私」との区別はつかない。つまり平野専務と平野建設は「」と「われわれ」の関係である。もちろんそれは、

「われわれ」という言葉に不安を感じる。だれも他の奴とは一体じゃないからだ。あらゆる合意の背後にはつねにある、ひとつの深淵が、目につかない深淵が。(@アインシュタイン)

なのであって、「私」(平野専務)は「種に溶けた個」ではない、という意味で、「われわれ」(平野建設)は「みんな」ではない。

さらに同心円上に「公」を広げ、岩見沢市を「公」とすれば、平野さんも平野建設もすでに「私」(「」と「われわれ」)である。このとき岩見沢建設協会は「共」である(というか「共」でなくてはならない)だろう。

さらに北海道を「公」とすれば、岩見沢市は「共」であり、岩見沢建設協会はほとんど「私」に近い「共」であり、しかし平野建設も平野さんも「私」であるだろう。

日本を「公」とすれば北海道は「共」かもしれないが、岩見沢市も、岩見沢建設協会も、平野建設も、ほとんど「私」(「われわれ」)ということができる。(日本を亜細亜や世界と置き換えても同じことだ)。

つまり、この共同体の入れ子状態が「イエの原理」なんだけれども、まぁ、そういうめんどうくさいことをうっちゃっておいて、今朝は、次の平野さんの言葉にぐっときた。

私の考え方としてはこのブログは「私」と「公」を行ったり来たりする微妙なポジションながら、お客様としてきていただいた方には、平野建設というのはどんな会社なのか、どんな考え方で仕事をしてるのかがイメージできるような感じを目指してます。

そう、ここには西洋的な「公/私」では捕らえきれないもう一項が存在している。それは「平野建設というのはどんな会社なのか」というときの平野建設である。

平野建設は平野専務にとっての「共」としての「私」、つまり「われわれ」としての「」である。そのことで、岩見沢建設協会のサイトの中にある、平野建設の専務のブログは成立するのだけれども、西洋的な「公/私」であれば、それは不可能なことでしかないわけだ。

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たかがブログ、されどブログのありがたさ。。

カテゴリをホントの雑談にいれるのも憚られる事態なわけで・・・ ... 続きを読む

Comments [2]

No.1

師匠、、

唐突に取り上げていただきありがとうございます(笑)
当社のレベルで何を大げさな・・という状況ではございますが、今後とも地道にやっていこうと思ってます。

しかしこのブログの内容は、相変わらず難解で。。。

判ったような、判らなかった様な・・・という状況ですが、きっと時間をおいて閃きの如く、咀嚼理解し、ありがたい恩恵を得ることができるのでしょうね。。

今後ともご指導のほど、宜しくお願い申し上げます。

No.2

>ひらのさん

たいした難しいことじゃないのよ。つまりは「私」をつくりあげているのは「われわれ」だということですね。

協会活動も、青年会議所も、会社も、地域も「われわれ」なんだとあたしは思っているわけで、その「われわれ」がなければ「私」もないわけです。

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