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「映画クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者」をみてきた。

映画クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者


錦糸町の楽天地へ出かけ、「映画クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者」をみてきた。これは、あたしが知っている「しんちゃん映画」の中では、ダントツの駄作だと思う。うちのガキの感想も「昔の方が面白かった」であった。

映画館の入りは悪く、180近くある座席の4割程度の入りで、そのほとんどが小人切符で入ったきた子供たちだが(安い客ばかりで興行収入は悪いのだろうな、と思う)、彼(女)らが笑う場面は数えるほどしかなく、しんちゃん映画としては、異様に盛り上がりに欠けているように感じた。

たまに笑いがあったなと思えば、ストーリーには関係のない絵のデフォルメに対してであったり、期待の小島さんも見事にハズレ。あたしには、ついぞ笑えるところがなかった。

たぶんあたしの脳みそは、もはやこの手のモノに「ついていけない」ぐらいに古臭いのだとは思うが、まず最初の違和感は、偶然の連続で綴られていくストーリーの無理矢理さだ。

まず、しんちゃんが「選ばれし者」として(暗黒世界ドン・クラーイ)と戦うその理由が曖昧なのである。まぁ曖昧なら、そのまま曖昧の連続でいってしまえば、神経逆撫で感で楽しめたかもしれないのに、途中、しんちゃんが「選ばれし者」である理由の説明(「宝くじに当たったようなもの」)が出てくるに至っては、カックンときた。あれは蛇足である。あれを入れるぐらいなら、最初からストーリーをしっかりとつくった方がよい。

1.5の関係その偶然性の連続は、所謂「セカイ系」の特徴なのだろうが、この作品はセカイ系の1.5の関係ではない。

「おら、のはらしんすけ、ごさい」(これはクライマックスで何度も反復される)が単純な「1の関係」になってしまっていることで、まるで誰かの「夢」を無理矢理見せられているようなのだ。

それを徹底して追求するなら逆にとんでもない映画になった。しかしそんな風になるわけもなく(たぶんそんなところは狙っていない)、ただストーリーがめちゃくちゃな映画になってしまっている。

それはイリュージョンとしての映像が弱いからで、緊張/緩和がないのである。敵役のキャラクターも薄いし、創造性の欠片も感じられない別世界(暗黒世界ドン・クラーイ)の設定もひどい。春日部のリアルも物足りない。

しんちゃん映画は、リアルな世界と、突然現れる〈別世界〉との対比の妙で一気にみせてしまうのだが、今回のは、別世界の設定の甘さがすべてを曖昧にしてしまっていると思う。それは「3の関係」をしっかりと書いていないからだろう。 

それが、この映画の〈世界〉の狭さ(1の関係)になってしまっている。今回の〈世界〉は、しんちゃんとその一家(野原家=近景=2の関係)に閉じこもっている。遠景を書こうとすればするほど映像は平面になっていく。

ふたば幼稚園や町内会(3の関係)は、出てはくるがストーリーにはからまない。つまり、町内会がしっかりしていないのである。なので、使い古された家族愛を強調してみせたりするのだが、それは今更であって勘弁してほしいのだなぁ。金矛とか銀の盾(1.5の関係)なんていうものを、今更に使うのなら、春日部防衛隊(3の関係)でいってほしかった、とあたしなんぞは思うのだった。

Comment [1]

No.1

めちゃめちゃ面白かったわ。
てめぇとてめぇのアホなガキの価値観で決め付けるな。
死ね!

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