午前5時50分起床。浅草はくもり。昨日は足利市の鳥常分店で昼餉(ランチ)。鶏モツと鯉のあらいでビールをいただき、親子丼を食べる。馬力屋さんからカツ煮をお裾分けしてもらった。なると二枚が鳥常分店の目印だ。
鳥常分店
鳥常分店は、なじみの足利のお店だけれども、最後にここでご飯を食べたのが2006年10月28日で、約1年7ヶ月ぶりの再訪(そもそも足利にお邪魔するのが1年7ヶ月ぶり)なのである)。
ここはうちの近所だと「ニュー王将」なのであって、そのパワフルさも、扱っているモノも違うけれども、「ニュー王将」のもつ混沌は、鳥常分店にも通ずる(たんぶん)。
それはただ雑多なのではなく、一本筋が通っているゴチャゴチャ感なのであることで、つまりこの店、かなり裏浅草的なのである。そのことで、近所の店のように身体は馴染むし、ビールもすすみ、ついつい腰が重くなる。
このような店の空気(次元)は、おいそれとできあがるものではなく――それは足利という街にもいえることだが――、足利は、ほぼクルマ社会ではあるけれど、市街地には路地が残っているし、昨日ご一緒した皆さんの心象には、郊外化されない風景=「街的」が残ってる。それは、そのような心象を支える店がまだ残っているということ可能なのだろうなと思うのだ。
それは、とんでもない時間をかけてできあがってきた暦と地図であって、それが(ぎりぎりのところで)残っていることで、足利は、
この十数年来私たちに提供されてきた類の、剥き出しの経済力に施された新自由主義的な粉飾は、その構築のために大変な苦労が重ねられてきた社会秩序を極めて深刻な形で破壊する過程を生み出しています』(ピエール・ブルデュー :『政治』:p66-67)
だから、ここに住んでいる人たちも、足利の街も店も、あたしには他人事とは思えないのだ。
お土産はチキンカツ
追記:今朝の朝餉は、お土産にいただいたチキンカツ(ソースカツ)であった。
これは、一晩おいておくことで、ソースがころもに吸い込まれ、たぐいまれなる絶品!となる。すさまじくうまい!
鳥常分店 |
|