午前6時起床。浅草はくもり。2008年6月4日、鹿児島からの帰りはANA626便であって、あたしは思うところがあって窓側の席を確保した。(普段は通路側に席をとる)
思うところというのは「富士山が見たいな」なのである。九州からの帰りの便は進行方向左側に富士山が見える。この日は生憎の曇り空だったけれど、雲の上にポツリと頭を出した富士山が見えた。
象徴としての富士山
富士山が見えることのそれがどうしたのか、と云われれば、どうもしないのだけれど、ただ、あたしは富士山が見えることの統一感のようなものが好きなのだ。
この日は生憎の天候だったが、晴れていれば富士山は至る処から見えるのである。同時に何百万人もの人々が見ることの可能なモノというのは、今や富士山ぐらいしかないのである。しかしその富士山さえ見えにくくなっているのもたしかで、それは日本人の象徴界の喪失なのだと感じている。
同時に何百万人もの人々が見る、などというのは本来異常なことである。だからこそ象徴になれるのだが、しかし今それを可能にしてしているのはテレビぐらいなもので(フジテレビというそのものずばりの局もある)、だからテレビ村は象徴界に居座る。しかしそれは人々をコントロールしようとする嫌らしさを孕んでいるのもたしかで、つまり人を受動的な消費者としてしか扱わない。
富士山はただあるだけだ
富士山を、こんな素敵な象徴もないな、とあたしが思うのは、この象徴はただあるだけだからだ。けっして人々を支配しないのである。富士山を利用して人々を支配しようとした人はいたかもしれないが、富士山がなにかしたことはないのである。(除く噴火)
江戸の時代には、東京(江戸)からもフツーに富士山が見えた。だからうちの近所の浅間神社も別名お富士さんなのであるが、しかし今は浅草から富士山が見えることはない。
東京は、高度経済成長のどさくさに、みんなで富士山になろうと我も我もと高い建物が建ち並ぶことで統一感を失った街なのである。あたしはそれと同じことを地方にも感じている。
たとえば盛岡には岩手山がある。ほんとうは盛岡の街のどこからでも岩手山は見えなくてはならないはずなのに、立ち並ぶ勝手な建物に邪魔され見えることが希なのである。それは中心を失うことで不幸なのだと(あたしは)思う。