独自調査で分かった「政界再編予想図」

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from 独自調査で分かった「政界再編予想図」:NBonline(日経ビジネス オンライン)


午前4時起床。浅草はくもりから雨になった。相変わらずのhumid weather.で、空気が湿っぽいそんな朝、《独自調査で分かった「政界再編予想図」:NBonline(日経ビジネス オンライン)》を読む。これは面白い調査だと思う。

二大政党制と民主党

二大政党制というのは弁証法なわけで、その意味で(新参者の)民主党が、「小さな政府で格差是正」を目指すという(理論矛盾ではあるが、いいとこ取りの)ある程度一枚岩の政党であることはわかる。それは民主党の成り立ちによるもので、民主党は自民党と対立するものとして存在してきたからだ。

ではなぜ、その民主党が、「小さな政府で格差是正」を目指すという理論矛盾一枚岩政党となるのか、と言えば、それは対立する自民党が、二大政党制的には反則の政党だからだ(今は)。

自民党の一党矛盾体制

自民党は、今回のグラフからもわかるように、「大きな政府で格差是正」と、「小さな政府で規制緩和」の両方が同居しているという一党矛盾同居政党なのである。つまり一党弁証法(という二大政党制における理論矛盾)をやっている。それは二大政党制であることを実質的に拒否しているのである。

自民党議員が多く集まるグラフ右上の「小さな政府で規制緩和」は、小泉純一郎政権時代の改革路線をさらに進める立場ともいえる。英国やニュージーランドが財政再建の過程で採用した政府の姿でもある。一方、グラフ左下の「大きな政府で格差是正」は、消費増税などによる大きな財源を武器に所得再配分を充実させる政府である。

いずれの立場も、政府のあり方と政策の中身に一貫性があり、政策の実現性には納得感がある。逆に言えば、政権与党として両方の立場を併せ持つことで、振り子のように政策を軌道修正しながら時代の要請に応えてきたといえる。小泉純一郎政権後、格差問題への国民の関心が高まるにつれて改革路線が後退してきたのも、こうした自民党の性格を如実に映し出している。

この一党矛盾体制については以前にも書いたけれども、つまりは、自民党は55年体制をまだ引きずっているのであって、あたしゃ、今はそれでいいと思っているし、そうしかできないのだろうなとも思う。

自民党の止揚=民主党

だって、今回の調査があきらかにしているのは、民主党は、自民党の一党矛盾の止揚の結果(いいとこ取り)でしかない、ということだ(それが「小さな政府で格差是正」)。つまり自民党は一党矛盾政党であることで、民主党は自民党の矛盾の止揚でしかないことで、政策的には(できることは)たいして変わらないのである。

つまり自民党であろうが、民主党であろうが、政策オプションは極端に少ないのであり、大局的には様子見しか出来ない。なぜならそれは論理矛盾でしかないからだ。理論矛盾は基本的には人気はない。なぜならそれは、有権者には「なんだかわからないもの」でしかないからだ。

そしてその「なんだかわからないもの」の範疇で、政策的に「わかりやすい」ものをつくりだそうと、両党はしのぎをけずっているにしか過ぎない。

身動きのとれない政治

一方、日経が「政府のあり方と政策の中身に一貫性があり、政策の実現性には納得感がある」と言っている人達は、具体的には自民党の改革大賛成(小さな政府)や、配分大好き(大きな政府)のことである。それに理論矛盾はないことで、それぞぞれに一貫性があり、政治に対してある程度興味のある人にはわかりやすい立場だと言える。しかし「みんな」にとっては(ほんとうは「なんだかわからないもの」でしかないのもたしかだが。

で、問題はなにかと言えば、その両極を政策的に実行しても、今はたいして変わらない結果にしかならない、ということだ。それは、現在の財政ビンボ―という前提があるからであって、そこでは「小さな政府」は共通のオプションでしかなくなってしまう。グラフの大きな政府派をよく見ると、自民党の大きな政府派は、たいして大きくないのである(そんなに左側に寄っていない)。

「小さな政府」が前提である限り(政策的なモノに頼らざるを得ない)「みんな」(公共事業依存の建設業や地方、そして多くの国民)は、ますますビンボ―になるしかないのである。なぜそうなのかと言えば、日本はそういう仕組みで動いているからだ、としか言えないのだが、つまり開発主義はまだまだ終焉の途上なのだということである。

この文脈では、公務員(公共)のリストラクチャリングは更に強行されるだろうし、改革賛成派の政策は緊縮予算になるし、配分好き派の配分は、負の所与区税にしかならないだろう。しかしそれは、同じことの表裏でしかない。

そしてそれを強調しているのが民主党なのであって、なぜなら、そうした方が「わかりやすい」からである。例えば、《民主党の全販売農家への所得保障制度は「負の所得税」ではないのか?》。

つまり民主党の「小さな政府で格差是正」は、ここにおいて、「なんだかわからないもの」から「わかりやすい」へ転換しているのだ。やっていることは、自民党と同じ理論矛盾でしかないのだけれども、政策の具体性において「わかりやすい」のである。

と書いても、わたしは民主党支持者ではない。自民党支持者である。両極が同じ党内にいることで、自民党のダイナミズムを(わたしは)面白がっている。しかしそこで生み出される政策は、民主党的「わかりやすさ」を欠くのである。それは自民党の政策が、あらゆる面において「官僚制」が前提になってしまっているからだろう。つまり官僚制こそが、「なんだかわからないもの」なのである。

出来ることから

そこで、あたしが何を言いたいのかというと、こういう様子見の時代に、政治が出来ることと言えば、今出来ることを確実にやっていく、ということでしかないだろう、と。それはやっぱり「小さな政府で格差是正」でしかないと思うのだ。

ただその手段は、民主党にとってさえ、(矛盾する)主義主張に対する例外となるだろう。今必要な政策とは例外なのである。例えば「小さな政府」であれば公共事業の削減は必然なんだろうけれど、その公共事業も、大手と地場中小のものを分けて考えるととで、都市部と地方の格差是正を考えることであ。

そして優先して、ガソリン価格を筆頭とした、物価の上昇を止めることで、格差是正を考える、ということなのだ。しかし自民党も民主党も、この件に関してさえ様子見なのである(民主党は政局的にしか動かない)。その態度こそが「政治の不在」なのであり、あたしらが(政治的に語るときに)問題とすべきことなのだと(あたしは)思う。