理容 やまさき
理容 やまさき


床屋の「街的」と
あたしのヘンな習慣

あたしにはへんな習慣があって、それは旅先で髪を切る、というものだ。昨日も午前中時間があったので、人吉市内を徘徊し、髪を切ってくれるところを探してみた。それは理容店でも美容院でもどっちでもよいのであるが、歩いてみると、人吉というところは、床屋もパーマ屋も多いなあ、と思う(それは岩見沢に似ている)。きれい好きな方が多いのだろう。

床屋というのは、そもそもが「街的」な存在なのであって、行きつけの床屋(美容院)というのが有るのが普通だ。しかし今のあたしには、この普通がないのである。それは浅草に遅れてきた者、ということもあるけれど、それよりも旅先で髪を切る、というヘンな習慣が災いしている。「街的」な店(飲食店)と違って、床屋は毎日行くわけもないものだから、旅先で髪を切ると浅草で髪を切る機会を失う。

理容 やまさき

理容 やまさき

それはさておき、昨日あたしが選んだ床屋は、三条橋のたもとに佇んでいた「理容 やまさき」であった。あたしはその昭和の残り香のような佇まいに魅せられてしまったのだ。

ドアを開けて中に入ると、うん、予想通りなのであって、先客は居らず、初老の店主(ご婦人)が客用の長いソファに座って居られた。その店内は、あたしの記憶にある「床屋」そのものであって、その全てがある時点で進化を止めているような、まごうことなき「床屋」であった。

あたしは座高が高いので、小柄な店主が髪を切るのは、背伸び状態。しかしその仕事はじつに丁寧なものであった。けっして早くはない。カットハウスなどというところにいくと、やたらとハサミをせわしなく動かしていたりするのだが、ここはそんな真似はしない。確実に必要な仕事を淡々と確実に進めていく。それがじつに見事なのだ。仕事の流れにまったく無駄がない。身体で覚えた手順、繰り返す合理性である。

最近は、別な意味で合理的な店(10分1000円)があって、あたしも時々そんな店で髪を切ったりしている。それはあたしの中に、どうせまた伸びて来るんだから、という合理性の心象が働いているからで、ひげそりの時間なんて、あーもったいない、なのである。床屋は、さっさと済ませた方がよい、程度に思っていたのだ。

昭和の床屋は
全てが過剰なのである

しかし「やまさき」で髪を切り、カミソリをあてて貰う時間はまったく異質なものであった。最初は時間がかかりそうだな、とちょっばかり今回の選択を悔やんだのだけれど、淡々と進む店主の仕事に身を委ねていると、世の中に数ある時間の過ごし方の中でも、これは最高のもののひとつだと思えてきた。そして、あーこれが床屋だよ、と昭和の記憶が沸き上がってくる。

それは全てが過剰な時代の記憶である。昭和の床屋は過剰だったのだ。マッサージも、耳掃除もしてくれる。耳穴のマッサージなんて生まれて初めて経験してしまった。しかしそれは何度も取り替えてくれる蒸しタオルの心地よさに象徴されるように、あたしの中の何者も逆撫でしない。

始まりから終わりまで45分かかった。最近では最長の理容の時間だった。それでお代は2500円也なのである。今時こんなに充実した2500円が他にあるだろうか。あたしらは経済合理性(安ければよい)という風潮、若しくはその逆の流れという極端に流されていて、普通のサービス(中庸)というものを見失っているに違いない。

これが普通のサービスであって、普通の対価なのである。近所にあったら毎日でも通いたい(それは無理だとしても週一で通いたい)、そんな床屋が人吉にあった。ということで、午前9時起床。浅草はくもり。

理容やまさき
熊本県人吉市駒井田町204
0966-23-4182
 
理容 やまさき