となりのトントロ
この店は一昨日(9月17日)の二軒目の店で、井之上さんとホルモンを食べたのだ。 オープンエアの店だし、通りの角にあるので、かなり目立つ。そしてなによりも、ホルモンを焼いている様子と煙と臭いが、視覚と臭覚を直撃してくるのであって、それはかなり反則的に酔人を惹き付けるのである。
上の写真は大将で、従業員がお揃いで着ているTシャツに書かれたロゴはかわいいし、大将もそれに劣らずかわいい。店の人は若者ばかりで元気もよく、となりのラーメン屋との間を、忙しげにいったりきたりしている。
この店の「となりのトントロ」というネーミングは、となりがラーメン屋だからで(たぶん)、大将は「鹿児島ラーメン豚とろ」の経営者なのだった。
ホルモン焼きを食べることのエロティック性と
オープンエア
この日は、塩ホルモンと味噌ホルモン、それにレバ刺しでハイボール(ウイスキー)を飲んだ。
塩ホルモンは小腸(テッチャン=ホソ)で、味噌ホルモンは大腸だ(味噌は八丁味噌ベースであまい)。それはあたし的には馴染みのもので、大変おいしくいただいた。
本来ホルモン焼きを食べる行為というのは、多分にエロティックなものであって、恐ろしく個人的な領域にあるという思いがあたしにはある。それは"恥じる"というよりも(何処かで機能している)"禁止"への後ろめたさのようなものだ。
しかし、今や、ホルモン焼きは公共の域に近づきつつあって、しっかりと市民権を得ている。若しくは全ての食べ物は序列がなくなり、スーパーフラット化しているということなのだろう(たぶん)。
この記事の何が面白のか、というと、色川と並木の藪と居酒屋浩司が、「下町ソウルフード」として、同じ誌面に並んでいることなのであって、これはデータベース的というか、スーパーフラットな感覚なのである。
つまりこの記事では、歴史も生い立ちも、そして客層も違う(たぶん)、それぞれの店が、「下町ソウルフード」というタグ付けにおいてフラットなのでる。この感覚は、Web化する社会を象徴していたりするな、と(あたしは)思うし、そしてそれは、(あたし的には)まったくフツーの感覚なんだけれども(このブログもスーパーフラットに書いている)、浅草的にはけっこう凄いことだわね、と思うのだ。東京ウォーカー8月5日号での居酒屋浩司。 from モモログ
居酒屋浩司もオープンエアだけれど、それはホッピー通りというアジール性のなせる技だ。しかしこの店は(天文館というアジール性は少しは機能しているだろうが)公道の真ん前で、堂々と開けっぴろげ(オープンエア)で営業しているのである。
それは南国故の開放性なのだろうか、ホルモンを食べることは、まだ、エロティックな行為であるのだと思うけれど、路地の奥ではなくて、こんなにいい場所で、オープンエアでホルモン焼きを食べる時代になったのだな。(たぶん)それは悪いことではないだろう。ということで午前5時起床。浅草は雨/くもり。今日は岩見沢へ。