桃知商店よりのお知らせ

宝蔵門の大わらじが新しくなったこと。(浅草寺)

宝蔵門のおおわらじ
宝蔵門の大わらじ(浅草寺)


浅草寺に大わらじ 村山で制作、住民が奉納

大わらじを浅草寺の門に立て掛ける村山市楯岡荒町地区の人たち東京都台東区の浅草寺で26日、本堂近くの宝蔵門に飾られている2つの大わらじが約10年ぶりに掛け替えられ、制作した山形県村山市楯岡荒町地区の人たちが新品を奉納した。

奉納は、雪害対策に奔走した地元出身衆院議員が1941年に行って以来、約10年ごとに実施。鉄パイプの型枠にわらを編み込んだ大わらじは長さ4.5メートル、幅1.5メートル、重さ約500キロで、トラックで村山市から運び込まれた。

26日は法被姿の住民約30人が大わらじを担ぎ、雷門から仲見世通りを経て宝蔵門に到着。ワイヤでゆっくりとつるされ、針金で固定されると観光客から歓声が上がった。

楯岡荒町地区の高梨正雄さん(76)は「5回目の参加だが、先人たちの伝統を無事にやり遂げることができた」と感慨深そうだった。2008年10月27日月曜日 Kolnet

贈与としての大わらじ

浅草寺の宝蔵門に飾られている大わらじが新しくなった。あたしは昨日見に行ったのだが、新品は、たしかにいいかんじなのである。

宝蔵門の大わらじ

普遍経済学これは山形県村山市の楯岡荒町地区の人たち(共同体)からの、浅草寺の観音さまという純粋贈与への、10年に1回の贈与であって、そこから生み出される純生産がなにものなのかは、あたしは知らない。

けれど浅草に遅れてきた者でしかないあたしでさえ、この贈与、そしてそれを繰り返す村山の人たちの律儀さには、ありがたさしか感じないわけで、この大わらじはこれから10年間、立派にその姿を保ち続けるだろう。

厳しさに耐え抜いてきた自信

それは雪国に住む人たちのたくまさしさなの表徴なのだろうが、村山といえば、あたしは、阿部宗一郎さんのこの言葉を思い出す。

ここに住む私達は、この場所を離れずに、一見かたくなに地域にしがみつき生涯を終わろうとするのは、この現実、すなわち厳しさに耐え抜いてきた自信があるからです。(阿部宗一郎:『やまがた村山学 創刊号 vol.1:p126』

地勢学的にも(そして経済学的にも)「厳しさに耐え抜いてきた自信」というものを、身体的なものとして学習していないあたしには、この言葉は重すぎるものだ。

だから、この大わらじから伝わってくるのは、そんな「厳しさ」なのではなく、この大わらじを作っているときの、楯岡荒町地区の人たちのたのしさ、誇らしさなのである。

しかしそれは、その「厳しさ」と対となって存在しているものでしかないだろう。あたしには、それを実感として感じるモノがないことで、「厳しさに耐え抜いてきた自信」というものがないのである。

Comment [1]

No.1

 こんにちは、はじめまして
 大わらじの記事で、勝手に紹介させていただきました。
 村山市民として、今後とも「大わらじ」をよろしくお願いします。

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