源氏物語千年紀
2008年11月1日


源氏物語

「源氏物語」は何度かトライしたことがあったけれど、その都度途中で挫折するのは、それが恐ろしく退屈な物語だったからだ、というのは表向きの言い訳で、その登場人物が会話のように使う「歌」(和歌)をあたしはまったく読めなかったからだ、というのが正直なところだ。

「源氏物語」を読める方は「和歌」を飛ばして読むようなことはしないだろうが、あたしは飛ばして読んだ。なぜかといえば、現代語訳の「源氏物語」を読んでいても「和歌」はそのまま「平安時代」の言葉だからだ。

しかしそれは「源氏物語」読みとしては致命傷な欠陥があって、紫式部は、作中の登場人物のこころを和歌に託してしまうわけで、つまり物語の動機がそこあるのだから、「源氏物語」を読むというのは=和歌を詠むなのである。

だから和歌を知らない、そして平安時代の言葉を知らないあたしは「源氏物語」が読めないし、このまま読めず終わりそうなのである。

しかし今日のGoogleの「源氏物語千年紀」ロゴを見れば、忘れかけていた「読めずに終わりそうな」悔しさを思い出してしまう。それで懲りずに小林秀雄から読み始めるあたしは、まだ懲りていないのだろうか。

死ぬまでに 原文で読みたし 源氏さま

     そんなことは 絶対に 無理じゃ、無理じゃ

(編集中)