午前6時30分起床。浅草は晴れ。ぎっくり腰なのか、とても腰が痛い朝で、椅子に座っているのも辛いという困った状況なのだ。それはさておき、先に、浅草・酉の市ならベビーカステラと書いたけれども、あたしにはもうひとつ向かうところがあって、それは写真のカルメ焼きのおじさんの処なのだ。昨年あたしはこう書いた。
カルメ焼きのじいさんが、カルメ焼きをひとつひとつ、黙々と、のんびりとつくっている。/こんな風景は、もうここでしか見られないのかもしれないし、このじいさんが居なくなってしまったら、カルメ焼きの屋台そのものがなくなりそうで、なにか心配にさえなるのは、私も歳をとったせいなのだろうな、と思う。
あたしはこのおじさんが、たんたんと、でもきっちりと測ったように繰り返す作業を、ただみているのが好きだ(ただみているだけでは申し訳ないのでちゃんとカルメ焼きは購入するけれど)。
砂糖を溶かしたものを、小さな寸胴から、これまた小さな鍋へうつし、小さなコンロででぐつぐつと煮立てる。それは水分を飛ばしているらしいのだが、この加減が難しいらしい。(水分を)飛ばしすぎると重層を入れても膨らまないし、(水分が)多いままだと、一瞬膨らむのだが、瞬時に縮んでしまうのだそうだ。その時間を計るようにタバコを一服吸いながら、じっと小さな鍋を見ているおじさん。
と、徐に鍋を火から下ろし、手元に鍋をもってくる。そしてまた暫く様子を見ているのである。直ぐには重層は入れない。この間が凄いなあ、とあたしはただただブクブクと、おじさんを見つめてしまう。ブクブクいっている鍋が、今重層を入れるのよ、と語りかけてくるのを待ているのだろうが、それはモノと会話ができる、などという陳腐な表現じゃだめだろうな、と思う(けれど他に表現しようがない)。
そして優しく重層をいれて年季の入った棒でかき混ぜれば、石川遼くんがバーディを決めた時ぐらいにギャラリーはわくのである、おー。カルメ焼きは、この瞬間こそがたまらないのだ。
カルメ焼きのおじさん |