飯田の熊谷さんからのいただきものは、飯田と云えばリンゴ、リンゴと云えばサンふじなのである(熊谷さんありがとうございます)。
サンふじというのは「ふじ」と同じ品種だけれども、無袋で蜜が入るまで木にぶら下げていたものだ(たぶん)。
林檎は好きだ。学生の頃あたしは福島に住んでいて、近所(と云っても距離はある)にフルーツ街道があった。林檎はたわわに実っていて、そこから林檎はやってきた。
やってきたといっても盗んできたわけではなく、すべていただき物だった。あたしは飯坂温泉寄りの生協でアルバイトをしていて、そこで働いているおばちゃんの多くは、りんご生産農家の方だった。
だから出荷できないような規格外のりんごを時々いただいていた。もちろん一人暮らしであったから、10個も貰えばしばらくはりんご三昧であった。いつも金欠で腹を空かしていた一人暮らしの男が、自分で皮を剥いてたべるリンゴはなにかぱさぱさな記憶である。しかしそのとき、福島のりんごは世界一うまいと思うあたしの脳みそはできあがった。
そして飯田のりんごである。飯田にはりんごにまつわる話はたくさんある。りんご並木まである。大産地である。しかしそれを知ったのは福島のりんごがあたしの脳みそに刷り込まれてから20年も後のことだった。
そして今は飯田のりんごなのである。しかし飯田のりんごをたべて思い出すのは福島のりんごなのである。なぜそうなのかといえば、福島のりんごには地図と暦の記憶が染みついているからだし、浅草にはりんご畑はないからだ(もちろん売ってはいるけれど)。