雇用不安 (岩波新書) (新書)

以下は、自民党の『日本型福祉社会』(1979)の抜粋である。引用元は野村正實さんの『雇用不安 (岩波新書)』:p138~143。

つまりあたしはこんな時代背景で育ったのだけれども(1979年、あたしは21歳、大学生である)、育ってみれば違う時代文脈が待っていたということ。なにぶん長文なので、そのまま1エントリーとしてしまうことにした(繰り返すが以下は全て引用文である)。


自民党の日本型福祉社会構想

「かつてもっとも富める国であったイギリスは、今世紀の初めから経済のパイ(GNP)を大きくすることよりもパイの分け方に意を注ぎ、平等化と社会保障の拡充とを追求してきた。その結果、政府が肥大化する一方で市場経済の活力は失われ、英国病という名の「経済的糖尿病」が進行したのである。」

「スウェーデン型の老後生活は、極度に個人主義的で、孤立・分散・冷淡な人間関係を原理としてできあがっている社会の見事な帰結である。スウェーデンは婚姻率が世界最低水準にある上に離婚率も高く、子供は一〇代で早くも親から独立していく。世界の青年の意識調査を見ても、スウェーデンの若者には「自分の好きなように暮す」人生を望む者が圧倒的に多い(アメリカを上回って世界一)。このような生き方の結果、「フリー・セックス」つまり結婚にも家庭にも拘束されない性的関係だけで結ばれた愛人や「愛」人でもないセックス・フレンドはもっていても、結局生涯結婚せず家庭ももたずに老年を迎える人間が多くなる。これは文字通りの「個人」、家族という最低限のボートさえなく丸裸で社会という大海を泳いでいる「個人」である。国家がこのような「個人」に立派な救命胴衣を与えてその生活の安全を保障しようと努めるのも当然のことであろう。また国家が母親しかいない子供、さらには生みの母はいても育ての母のいない子供の面倒を見ざるをえなくなるのも当然の成行きというべきであろう。」

「スウェーデン型の福祉万能思想は、規制や禁圧よりも便益の提供を、トラブルに対してはそのコストの社会負担を、という方向で対応をもたらしている。リベラルなセックスによってトラブルが起こらないように充分知識を与えようというわけで、学校では小さいときから性教育に力を入れる。また未婚の母が子供を生んだ場合は、このトラブルのコストを社会が負担して母と子を保護する。そしてこのような制度がいったん確立すれば、人びとは「安心して」、つまり自分でトラブルのコストを負担する心配なしに行動するようになる。いわば制度に寄生し、制度を「搾取」するのである。かりにわが国でも似たような制度、例えば「離婚保険」をつくって離婚した女性に保険金を支給したり、未婚の母の子を手厚く保護するための手当や施設を完備したりすれば、「フリー・セックス」男から見れば「ただの」セックスと結婚率の低下と離婚率の上昇、そして私生児の急増というスウェーデン型の現象を招来することは間違いない。これを果たして文明の進歩であると誇ることができるだろうか。それはむしろ文明の程度の低さ、知恵の浅さ、一種の愚行にすぎないというべきではないか。」

「イギリスやスウェーデンのような高福祉国家が支払っているコスト(費用目犠牲)を考えてみよう。このコスト(犠牲)の中には英国病型の経済的活力喪失症やスウェーデン型の福祉文明病ももちろん含まれる。しかしここでは直接のコスト(費用)の方を問題にしたい。高福祉を保障してくれる国家はただでは維持していけないのである。まずスウェーデンを見ると、税金(および社会保険料の高さ)は驚異的である。たとえば年収三〇〇万円のサラリーマンだと五〇パーセント余りが天引きされる。累進課税で、年収が五〇〇万円になると税率は七〇パーセント、それ以上の高額所得者になると八〇パーセント、九〇パーセントにハネ上がる。……イギリスでは財産所得に対しては、最高九八パーセントという法外な高率の税金がかかる。……こうした極端な累進的重税の下では贅沢が「タックス・シェルター」(税金逃れ)となる。人びとは現金の形で収益を生むものには投資せず、無税で満足を生む贅沢に金を使う。生産性を上げる設備投資は困難になる。しかし、金持ちにとって税金逃れのもっとも有効な作戦は、財産を国外に持ち出すことであろう。高い所得をもたらすであろう優秀な頭脳も国外に流出する。医者も学者もアメリカに出ていく。」

「日本型の福祉社会は、個人に自由で安全な生活を保障するさまざまなシステムからなる。そのようなシステムの主なものは

  1. 個人が所属する(あるいは形成する)家庭、
  2. 個人が所属する企業(または所得の源泉となる職業)、
  3. 市場を通じて利用できる各種のリスク対処システム(保険など)、
  4. 最後に国が用意する社会保障制度である。

すなわち、高度福祉社会は、個人の生活を支えるに足る安定した家庭と企業を前提として、それを(3)によって補完し、最終的な生活安全保障を国家が提供する、という形をとるものである。そこで重要なのは、まず家庭基盤の充実と企業の安定と成長、ひいては経済の安定と成長を維持することである。これに失敗して経済が活力を失い、企業や家庭が痩せ細って存立が困難になっていく中で国が個人に手厚い保護を加えるという行き方は「福祉病」への道であるといわなければならない。今日、大多数の日本人は右の(1)-(4)の安全保障のシステムに支えられて「それほど悪くない人生」を送ることができる。(1)-(4)のシステムには基本的な欠陥はないと見てよい。今後は高齢化の進行に応じて、これらのシステムに必要な手直しを加えていけばよいであろう。」

以上、日本型福祉社会構想を正確に知るために、原文をそのまま引用した。この考えにもとづいて、この政策文書は具体的にこれらのシステムと個人のライフ・サイクルとの関係を述べている。

日本型福祉社会におけるライフ・サイクル

自民党の『日本型福祉社会』は、大学を卒業して企業に就職し、結婚して家庭をもち、子供をつくり、退職後は年金を受け取って老後の生活を送り、七五歳で生涯を終える平均的な男性A氏のライフ・サイクルを取り上げている。

第一期(OI二五歳)両親のつくる家庭がA氏の生存を支える唯一のシステムである。この家庭が消滅して孤児になったり、父親の死、離婚などによって解体して母子家庭になったりすることは第一期における最大の不幸である。再婚の見込みなき離婚は母子の不幸であると同時に社会に負担をかけることになる。手厚い保護制度の存在が離婚を容易にするといった離婚誘発効果をもたらさないように注意しなければならない。

第二期(二五歳-六〇あるいは六五歳)企業こそA氏の第二期を支える決定的な安全保障システムである。企業は所得を保障してくれ、企業内福祉も提供してくれる。保険なども企業が一部負担してくれる。さらに企業は個人に社会的な地位をあたえる。A氏のつくる家庭は、A氏が寝に帰る乙とのできる巣と、かつての母親に代わる主婦の存在と、セックス・パートナーあるいは友人としての妻の存在、それに自分の子供をふくむ家族という心の支えである。

第三期(六〇あるいは六五歳から)まだ五年なり一〇年なり働くことも可能である。しかし病気になったり妻に先立たれたりするような危機にたいしては、老人医療制度、老人福祉施設、老人のための在宅福祉サービスがある。しかし、A氏の老後が危機におちいったとすれば、老人福祉施設や在宅福祉サービスに頼るよりも前に子供の家庭が最大限の努力をして、その責任を果たさなければならない。社会が納税者の負担によって用意している老人福祉のシステムは身寄りがないとか、例外的な事情で家族に責任を果たす能力がないといった場合の最後の助け船なのである。