去年の9月は、退院してから日もったておらす、書いていることは、
『こうしていることで、少しでも身体にいいことかあるかもと、私はいろいろな木々をかぐ。 されど、私のかぐ木の匂いは、あまりあてになったり、あてにならないものだったり。 つまりなにが身体にいいのか、それがわからかないのだ。』
だったりしている。つまり何が何だか分からないまま、それでもブログを書こうとしている。
この当時の文体は、単調でありながら、(あたしの内部では)独特の世界観を創り出している。今読んでも、短い文章でよく書いているな、と思う。しかしそれも当時のあたしの事を思えばであって、文章としては全然ダメなのである。
1年前はブログを書くような状態では全然なかった、というのが本音だろう。
しかしその状態であることを「残したこと」が、今思えば最大のあたしの功績か、と思ったりしている。
今でも最盛期の7割?の出来でしかブログを書けないけれど、当時書いたものを思い出しては、「あたしは1年でこんなに書けるようになったんだ」と自分を励ましたりしている。
Comment [1]
No.1大阪・140B 江さん
確かによく書いていますね。
何かを書くということは、ジグソーパズルの完成図をあらかた措定していて、そこに言葉のピースをあてはめていくというものではないですね。
むしろその時の言葉を手当たり次第たぐり寄せて(ブリコルール)、その言葉を足場にしてものを考える。
書かれたものは、自分が何を考えたかの足跡みたいなもんで、それも事後的にしかわからない。
それしか残ってません。