私の身の上ばなしのまとめ
さて、私の身の上ばなしもこの辺で終わりにしたいと思います。ここでは私の思うところを簡単にまとめておきましょう。
まず、インターネットが革命であることは、マクロ経済学者には理解しにくいだろうということです。なぜなら、彼らの問題解決方法は、個人と問題を切り離すことで成立しているからです。そういう方々にとって、インターネットの存在はファックスの延長上に考えることで十分な理解になってしまいます。しかし、個人の世界イメージの中では、これは「革命」に相当するようインパクトを持っているのです。
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答えのないコンサルタントの「わからない」という方法
私は、今では「答えのない」コンサルタントを明言しています。この「答えのない」コンサルタントというやり方も、既存のコンサルタント業界では絶対に認められない方法論のはずです。コンサルタントは「知っていること」が唯一の売りものなのであり、「知らないこと」はなにも売るものがないことを意味するからです。しかし、私は全く逆の方法を行っています。これを橋本治に倣って「わからない」という方法と呼んでいます。
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私の革命
それでも私は、インターネットは「革命」だというのです。
確かに、マクロ経済学の見地からは、私の仕事のスタイルは、旧来からあるやり方そのものなのです。ただ、インターネットという安くて手軽で爆発的な普及効果を持った情報伝達手段を、それも早い段階で利用することで、ちょっと合理的で効率的に、そして「さきがけ」的に形成されてきたものでしかありません。つまり、私の行動は「さきがけ」としての勇気は賞賛されるでしょうが、そこには革命と呼べるような「新奇さ」はないということです。
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クルーグマンのおはなし
以下は、『ホワイトカラー真っ青』(原題は「White Collars Turn Blue」) と題された、クルーグマンの論文からの引用です。(翻訳は山形浩生がおこなっています。http://www.post1.com/home/hiyori13/krugman/lookbackj.html)
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IT化を語るという立場
本書は「IT化」の本らしく、まず「IT化」についての理解からはじめることにします。しかし、IT(情報通信技術)やIT化に関する議論をするとき、特にそれが本書のように制度や組織のあり方まで意見が及ぶような場合には、これはどんな論者でもそうなのですが、それぞれがある仮説に立って自らの「IT化論」を語っていることを理解しておく必要があります。IT化が社会に与える影響をそれぞれに仮定して理論の展開をしているのです。IT化に関してはどこかに定まった見解があるわけではありません。
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中小建設業のIT化=環境×原理
本書は、中小建設業がおこなうIT化を、経営の制度・慣行としてとらえています。これは当たり前の認識なのですが、この事実を忘れたIT化論が大手を振って跋扈(ばっこ)しているところに、「中小建設業のIT化」が遅れている原因があると考えるのです。
伊丹敬之は、経営の制度・慣行を考えるとき、それが「制度・慣行=環境×原理」という方程式で表されるとしています。(伊丹敬之,『経営の未来を見誤るな―デジタル人本主義への道』,日本経済新聞社,2000)
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金魚論と本書の立場
本書は地場型中小建設業のIT化について書かかれたものです。本書では地場型中小建設業という言葉を、公共工事依存のローカル色の強い中小建設業という意味で用いますが、本書がIT化の対象として想定している中小建設業とはこの地場型中小建設業のことです。
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「中小建設業のIT化」を考えるということ
子供の頃、ご飯を食べる時に、親から 「お百姓さんに感謝して食べなさい」といわれたことがあるかと思いますが、「中小建設業のIT化」について考えることは、ご飯を食べながら、お百姓さんはコメをどうやって作っているのだろう、と考えるようなものです。
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『桃論』―中小建設業IT化サバイバル論は、2002年11月にエクスナレッジから発刊された私の著作である。
けっして大売れはしなかったけれども、マニアックな支持を受け、初版の5000部はなんとか売り切った。
しかし、増刷されることもなく、廃刊決定となってしまったので、Webにその全文を移植することを考えていたのだが、ようやく実行することにしたわけだ。
本書は、公共事業という産業の現況を予言したようなものでもあるため、今頃になって再評価もされてもいるようだが、まあ、こんな本は二度とこの世にはあらわれないだろうな、ということで、年寄りの楽しみ的に、ここにその残影を残しておこうと思うのだ。