Movable Typeとミーム進化。

午前6時19分起床。浅草は曇。

店主戯言のブログ化、つまりMovableTypeの導入と設定はぼちぼちと参考書を傍らにすすめていて、たぶん月曜日(5日)から店主戯言はブログ化できるかと思う。デザインは本当に幼稚なので、ぼちぼちとかっこよく――クールっていうのか――していきたいと思うけれども、たぶんそうはならないだろうね。w

まあ日記的に使えればそれでよいのだけれども、せっかくなのでスタイルシートやプラグインの使い方も覚えてしまおうと欲を出している。なので、夜の時間はそれは短いものだ。 しかしこの作業をしていて思うのは、せめてあと十歳若かかったらなぁ、ということであって、肉体の衰えはどうしようもない。

長時間ディスプレイを見続けていると、目がかすむ。私は既に老眼が入っていて、眼鏡は遠近両用なのだが、近距離の作業はこれが意外と辛い。参考書の文字なんか虫眼鏡がないと読めなくなる。

MovableTypeを使っていて――まだ二日目だが――感じるのはデータ層と表現域の分離だ。システムが東浩紀の云うデータベース構造になっていて、それはデータさえあれば表現は如何様にもできる、ということだ。如何様とはいっても己のスキルに依存するのは当然だけれども、既製品のスタイルシートであってもそれなりに自己を表現してしまえるのはWeb2.0的とでもいうのだろうね。

この「不満だけどしょうがねぇや」という感覚は消費の構造そのものだ。なにかに指し示されているような――お前はこの程度の人間なんだよ――感じもする反面、(私自身が自己の表現と消費がイコールの世代=消費主体として育ったせいか)それが別にたいした問題じゃなくなってしまっている。「不満だけどしょうがねぇや」というような感覚があるおかげで、飽きずに――まだ二日目だが――Movable Typeをいじっていられるのもたしかだ。つまり欲望をあきらめちゃいけないのだろうな。by ジャック・ラカン

表現のスタイルを変える。それはまるでTシャツを替えるような気軽さで。でも勿論大切なのはデータだろうが――と私は云いたいがそうでもなく(後で書く)――、個人的にはデザイン優位の時代性を感じている。そしてそれが機械的に、けっこう手軽にそして立派にできてしまう。デザインのためのデータだってその辺に石ころのように転がっていたりしている。

つまりそれは「技術による信頼の構築」というWeb2.0 memeにも基底でつながっていそうなものであることで、時代の方向性(ミーム進化のアルゴリズム)のようなものをそこに感じる。 「技術による信頼の構築」が刹那的なもの(例えばネットオークション)であるように、Web上のデータの価値は一瞬輝いたかと思っても、あっというまに消えてしまう。こんな時代に、人間の創造性とはなにを意味しているのでしょうね、と。

(参考)技術による信頼の担保とWeb2.0 memeについて 
 → http://www.momoti.com/myself/self060504.htm#060531

参考(書)

Movable Typeブログ拡張パーツ&デザインガイド―プラグインや無料サービスを活用したブログの機能/デザインパワーアップ術 
Movable Typeブログ拡張パーツ&デザインガイド―プラグインや無料サービスを活用したブログの機能/デザインパワーアップ術

作者: エビスコムテックラボ