桃知商店よりのお知らせ

文を作らんとするものは如何なる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持ってゐなければならぬ。(芥川龍之介)

午前7時起床。浅草は晴れ。 昨晩は、お客様が来られ、ムグンファ児玉とはしごし、少々二日酔い気味の朝だったけれど、[140B劇場-浅草・岸和田往復書簡]に、江弘毅への返信を書いた。


それはけっこうな仕事量であって、午前中をすべて使ってしまった。ざっと4時間かけて書いた、ってことだ。

今回のお題は、[街的という野蛮人]

この「野蛮人」は、芥川龍之介の『侏儒の言葉』の、

文を作らんとするものは如何なる都会人であるにしても、その魂の奥底には野蛮人を一人持ってゐなければならぬ。

というフレーズから持ってきたもので、この意味は深いのよ、とここで種明かしをしてはいけない。[街的という野蛮人]を読んでおくれ、なのだな。

とは言っても、それでは看板(表題)に偽りありになってしまうので、少しだけ。

あたしはここでの芥川の主張は「文を作らんとするものは」にあると考えています。文を作るとは、内省・反省の行為としての自己言及のことですよね。しかし今のあたしらのデータベース(象徴界)には、自己言及のためのデータ(語彙)もない。並んでいるのは商品というガラクタです。商品並べて自己を語っています。そこに野蛮人はいません。(引用:[街的という野蛮人])

「商品並べて自己を語っています。」いいね、このフレーズ。(笑)

皆さん身に覚えがあるでしょ。とうことで後は本文読んでね、と。

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