桃知商店よりのお知らせ

路地から花火見物―隅田川花火大会。(一葉桜・小松橋通り)

隅田川花火大会(一葉桜小松橋通り)
隅田川花火大会(一葉桜小松橋通りから)


午前8時起床。浅草はくもり。昨晩は隅田川花火大会であって、隣町も揺れる花火の晩であった。昨年までは自分の部屋から大二会場が浅草寺越しに見えたので、あえて外へ出ることはなかったのだけれど、引っ越し先での初めての花火大会見物は、一葉桜・小松橋通りへ出た。そこは第一会場の花火が正面に見える特等席なのである。

隅田川花火大会(一葉桜・小松橋通り) 隅田川花火大会(一葉桜・小松橋通り)

しかしそこは、思わず笑ってしまうような光景なのであって、道路を地元の皆さんが占有し、シートを敷き、椅子を出し、テーブルまで持ち込んで、飲み食いをしながら花火見物を楽しんでいるのだ。

(たぶん正式には)通行止めではないはずなので、片側を少しだけ空けておくのがルールなのだが、この状況に入ってくる車があるわけもない。自主的に、この日、この時間は通行止めなのである。ここにいる人達の呼吸で通行止めなのである。これもソーシャル・キャピタルと呼んでいいんだろうな、と想いながら、あたしも花火を楽しんだのだな。ドッカーンなのである。

「今という時代」は、学歴や、職業や、資格や、たとえば中小建設業の場合、経審や建設業許可やISO云々(つまり「技術のミーム」であり「能力」の信頼を担保するもの)、そういうもので自らが「品質保証済みの人材」であることをプリンシパル(市民社会)に対して証明することが限界に達している時代なのです。それはなによりもメタ情報としての「信頼」、「ソーシャル・キャピタル」が形成されていないからです。

「ソーシャル・キャピタル」をアローの言葉を借りて表現すれば、《それらは目に見えない制度であって、実は、倫理や道徳の原則である》となるのですが、既存の権威の崩壊という現実こそが、倫理や道徳の原則としての「ソーシャル・キャピタル」が、今後の公共事業にとっても、ますます重要となることを意味しています。(from  Lesson18 発注者と市民社会(4)―発注者の権威の崩壊 from 桃論―中小建設業IT化サバイバル論)

Comments [2]

No.1

昨晩は天気予報が微妙だったので大家さんに聞いたら「どんなに降ってもやるわよ。順延なったら飲食関係、警備関係大変だから」と力強いお言葉。そこそこ風も吹き暑さもそれほどでもなく心地よく花火鑑賞。私たちも詳しくは書けませんが「街の憲法」に従い楽しみました。

飲みすぎで朝は胃が重くカレーが食べたくなり新しいKORMAという店に行きました。
おいしかったですよ。

http://r.tabelog.com/tokyo/rvwdtl/600582/

No.2

>鉄蔵さん

花火が伸びたのは、昨年の選挙の時だけですね(たぶん)。
でも雨降ると路上で酒飲めないッス(笑)

たぬき通りのカレー屋なんですね。
たぬき通りは比較的行く処なんですが、これも知りませんでしたわ。これでカレーの店は二店舗ストックができてしまいましたね。

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