おカネはメタ欲望である。

『夢の解釈』 ルネ・マグリット(1935)またしても※1 ルネ・マグリットの 『夢の解釈 Key to Dreams 』(1930年)を引っ張り出してきたのは、この絵を見ていたら、あーこれはおカネだよ、と思ってしまったからで、こんなどうでもいい思いつきは、書き留めて置かないと忘れてしまう。

あたしがおカネ好きなのは、おカネは「メタ欲望」であるからだ。

メタ欲望というのは、欲望の欲望のことで、おカネがあれば欲望は叶う(と「みんな」は思っている)。だから「みんな」は生きていく為以上におカネが欲しい(たぶん)。

つまり、(あたしが)おカネが好きなのは、おカネはあらゆる「商品」のシニフィアンであるからだと云っていいわけで、つまりおカネがあれば、それが「商品」なら何でも買える(「商品」でないものをおカネで買おうとすると、贈収賄や青少年育成条例違反で逮捕されたりする……こともある)。


普遍経済学

今なら100円ショップにいけばなんでも売っている。それはただあるのではなく、100円のプライスがついた商品の山である。つまり100円は、100円ショップにある、あらゆる(100円の)商品のシニフィアンなのである。べらぼうである。

ルネ・マグリットの 『夢の解釈』は、そのべらぼうさのシニフィアンのように解釈できる。

時計というおカネは風であり得る、馬というおカネはドアであり得る、水差しというおカネは鳥でありえる。もちろん鞄というカネが鞄というおカネであることも可能なのだと。

だからおカネって何なんだろう、といえば、「商品」のシニフィアンってことでいいのだろう。この仕組みが「交換の原理」※2で、この仕組みの中ではあたしらの労働力も「商品」である。※3

それに抗するものがあるとすれば、「商品」じゃないモノのやりとりでしかなく、つまりはおカネで買えないモノのことだ。それはさらにべらぼうに貴重だ(ということになっている)。なぜなならそれは絶滅危惧種である以上に、おカネで買えないものだからというトートロジーで、おカネが「メタ欲望」であることを裏切ってくれるからだ。あたしらはそんなモノを欲望しているのだホントは。それを「贈与の原理」※2と云うのだし、それを何でもおカネで買えるようにしてしまおうとする運動が「交換の原理」だということもできる(たぶん)。

※ 注記

  1. 酉の市の熊手と『夢の解釈』 ルネ・マグリット(1935)。
    あたしがこの絵を好きなのは、その解釈の多様性であって、つまりはつかみどころのなさである。それは想像性を刺激する※4のだが、つかみどころのないモノというのは、価値の増殖エンジンのようなもので、それはキリスト教なら、三位一体の聖霊であり、普遍経済学なら純粋贈与、ラカンのボロメオの結び目なら、現実界ってことになる。では資本主義ではなんだろう? それはおカネのように思われている。「時は金なり」だとか。じゃ、なんで「時は金なり」なのと尋ねれば、利子が利子を生むからだなんて答えてくれる人が多いのだけれども、いっとくけれどおカネってなにもしないんだよ。なぜなら「商品」のシニフィアンでしかないんなだから。
  2. 交換の原理、贈与の原理。
  3. 交換の原理が僕たちを定義しようとしているとき、僕たちは情報を発信しながら、定義されることから逃げ続けなくてはならないだろう。
  4. ルネ・マグリットはシュルレアリスムを代表する画家で、つまりは無意識系御用達の人(実際にはすこし違うらしいのだけれども)。なのでインスピレーションを大切にする職業の方々にファンが多い(つまりアーティスト好みのアーティスト)。 from  Googleのルネ・マグリット生誕110周年ロゴ。