これは11月29日の
裏浅草は3丁目の方が洋食屋の充実度は高く、4丁目、5丁目的には、春が昭和的にその牙城を守っている。それでこのハンバーグも昭和的なのだけれども、じゃ昭和的ってなに、とか、3丁目は昭和的じゃないのか、と云われると、あたしも困るから、この区分はやめる。
それではということで、「庶民的」という語彙を使えば、たしかに3丁目は観光客も多いし、いろんなメディアで紹介されていたりする洒落た
けれど、3丁目の洋食を庶民は食べちゃいけないのか、という問いは成立しない。庶民以下であるあたしでさえ時々に食べていたりするのだから、庶民的じゃないわけはない。ましてや浅草以外のハイソな地域からみれば、浅草は街全体が「庶民的」と称されていたりするのであって、この区分も簡単に崩壊したりする。
つまり「街的」を書くというのは、二項区分が使いにくいのである。けれどもあたしらは、あの店とこの店が違うことぐらいは知っている。しかしそれが物凄く個人的な体験だったり、古い記憶の呼び出しだったり、いちいち身体的なのであるから、他者に伝えることは難しい。
これが「街的」を書くときの「根性がいるで!」※1なのであるけれど、春でハンバーグを食うのに根性はいらない。
とんかつ 洋食 春 |
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注記
※1 「街的」を書くには、ちょっと根性が要るで。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡
「かしみん」ってなんだ―「街的」を書くには、ちょっと根性が要るで、と江弘毅は言う。