働く過剰 大人のための若者読本。(玄田有史)

働く過剰

働く過剰  大人のための若者読本

玄田有史(著)
2005年10月25日
NTT出版
2415円(税込)

誤ったアメリカ流

しかし、いったいだれが、グローバル化社会のなかでの人材戦略とが、即戦力人材の活用であると言い出したのだろうか? アメリカではアウトソーシングによる即戦力のフレクシブルな活用こそが主流であると、どこかのコンサルタント会社が喧伝し、そのための活用プログラムでも企業に売り歩いたのだろうか?。(玄田:p8)

午前6時50分起床。浅草はくもり。この辛らつなことばの発信者は、玄田有史さんだ。彼はこれを、「誤ったアメリカ流」といっている。

代替可能性

この本は「アンチ即戦力主義」から「働くこと」を考えている。大学を出たばかりの新入社員が即戦力となるような仕事は、だれでも出来る(つまり「マクドナルド化」した)代替可能な仕事でしかない。ヘッドハンティングで採用した人材も同じだろう。代替は可能であることで、かけがえのない(代替不可能な)〈私〉は失われる。

個性重視、自己実現、対人能力への偏重が若者たちを追い詰めている。

そもそも、安定をつかむとは、その場所に居さえすれば、ノーリスクで確実なリターンが得られるよな、思考停止を許される安住の地を見つけることでは、すでになくなっている。むしろ、安定した生き方に必要なのは、今後自分に起こる可能性がある最悪の事態や状況を、今の段階で、できるかぎりリアルにシミュレーションすることだ。そして、その最悪の発生を未然に防いだり、実際の起こってしまったときの被害を最小限に抑えること、そのために今でき得ることをコツコツと続けていられる状態を、真の安定というのだ。

安定した生き方とは、最悪に対する想像力を確保できることであったりするし、それにやれるだけのことをやってあとは上手に開き直る所作であったりする。だからこそ、大人が若者に提供できる安定というメッセージとは、経験不足の若者に対して、最悪とはどういう状態を指しているのかを、具体的に想像させることなのだ。そして、そんな最悪のイメージを前にしてそれを真に回避するにはどうすればよいかを、理屈を超えて実感させることでもある。(玄田,p255)

たしかに玄田さんのいうとおりだろうが、しかし、そんな風にはなっていない。「最悪とはどういう状態を指しているのかを、具体的に想像させる」必要があるのは当然のことだ。しかしそれには(教育の)足場としての「中景」が必要なのだと思う。

中景―共同体性―贈与の原理

しかし「中景」としての地域社会や協会や会社や学校の機能は、今や喪失不全を起こしている――ことで、最悪のイメージを理屈を超えて実感させることもできていない。そんな時代に私たちはどう生きればよいのかを考えながら、私は年をとってしまった。

〈私〉には中景はあるのだろうか、と考えたとき、せいぜい「家族」にこだわるだけの自己愛パーソナルがいいところじゃないだろうか、と思う――まあ、それは家族が機能するだけでもまだましで、今や家族さえその機能が危ぶまれている。

もう、かつてのような、中景―共同体性―贈与の原理が復活することもないだろう。そしてその機能代替物としての、生物的な(動物的な)つながりだけを求めるネット。どうやらったら、時間軸を我々の思考の中に取り戻せるのだろうか。私はわからない。

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このページは、momoが2006年10月30日 07:43に書いたブログ記事です。

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