岩手県は全入札が一般競争になるらしい。

午前6時起床。浅草はくもり。

岩手県は全入札を一般競争にするらしい

岩手県、全入札を一般競争に 談合防止改革案7月から」(河北新報:登録制)

公共工事をめぐる談合事件の防止策として、岩手県は15日、指名競争入札を廃止し、7月に条件付き一般競争入札に全面移行する入札改革案を明らかにした。4月には官製談合の内部告発を受け付ける外部窓口も新設する。7月の一般競争入札全面移行は、10月予定の福島県、2008年4月の秋田県より早く、東北では先駆けとなる。

だれの為の一般競争なのか

今更なにが起きても驚きはしないし、もはやこの流れを止めることはできないことも十分承知している。

けれど、地方の公共事業への一般競争入札の導入の流れや、公共事業の縮減は、いったいだれの為のものなのか、と考えてみることぐらいは許されてもよいだろう。

これは建設業界からみれば、(個人の)意思決定が、外部の圧力に屈服する「強制的外部性」のように見える。

しかし、その「強制的外部性」の大本である役所の意思決定は、役人による役人のための(若しくは知事のための)自己保身でしかないと(私は)思う――まあ、それも市民社会(世間)からの外部圧力と言えないこともないが。

地方における食物連鎖系

大田弘子の言うとおり、景気感においては「公共事業に依存してきた地域の立ち遅れはある」。それは否定しないし――地方に行く度にそれを肌で感じている――、大田弘子がそう言うこと自体が、地方における公共事業の重要性を認めていることに他ならない。

地方の公共事業はその地域(地方)の食物連鎖的ネットーワークの頂点にある。そのネットワークをコントロールすることで、役人や政治家はこの食物連鎖の頂点に立つことが可能となっていたに過ぎない――そこから官製談合は生まれる。

そのネットーワークに役人や政治家の介在を制限することと、業者間の受注調整(共存のための談合)を認めないこととは、本来は違う議論として行われるべきものである。

しかしそれは今は出来はしない――それは(将来的にも)改善されることはないだろう。(もうこんなことで思考を繰り返している人間は殆どいななくなってしまった)。

ただ言えることは、このネットワークに大きな(量的・制度的)制限を加えることで、地方の食物連鎖は壊滅的な打撃をうけるのは当然でしかないし、それに代わるネットワークはまだ生まれてもいない、ということだ。(大田弘子はこれを認識しているはずだ)。

ハブとしての建設業

カスケード接続のネットワークとしてこれを考えてみればよい。全国規模の大手や中堅ゼネコンは、経済的交換――貸借関係において、リンクの多いハブであり、そのハブを壊してしまうことで、そのハブ(建設会社)を中心としたネットワークを容易に破壊することができてしまう――そしてその被害額は大きい。

そのため政府は、その大きなハブを温存する政策をとってきた。なぜなら国策として、そのネットワークに代わるネットワークなどもはやつくれやしないからだ。

しかしそれは、地域における地場の建設業も〈大/小〉の違いこそあれ同じようなものであって、彼らは(地元では)リンクの多いハブなのである――だからこそ「公共事業に依存してきた地域」なのである。

そして今、地方行政は、その食物連鎖系に接続するノード(建設業者)を、縮減する決断をしている。

ネットワークの複雑性 

それがどのような結果を生み出すのかは分からないのにだ――ネットワークは複雑であるというのが、ネットワーク理論の言っていることに過ぎない。

つまり、今行われている公共工事の削減や入札制度の市場原理化は、大きな賭けでしかない。短期的(5年スパンぐらい)では、ますます地方は疲弊するだろうし、地域格差は大きくなるだろう、というのが(私の)予想である。

そしてそれに対する決定打は、今のところ再配分政策の導入しか見当たらない――しかしそれは財政難と世論(政治的な判断)が許さないでいる。

では地方の建設業は、そして地域はどうやって生きていくのか――それはたぶん、自助努力などという抽象的な概念では解決できない問題となるだろう。つまり地方の食物連鎖のネットワークは二重化されてはいないのである。