午前6時30分起床。浅草は晴れ。

自民党総裁選をめぐる各派閥の対応 朝日新聞2007/9/1自民党総裁選は、麻生派VS反麻生派の様相。しかし、肝心の麻生派ときたら弱小派閥なものだから、ほとんど勝負になっていないな、と。

自民党的には、これで一安心なのだろうが、これはまずいなあ、と(自民党支持者の私は)思う。

なにかのサプライズをつくらないと、国民の関心を自民党に惹きつけておくことができない。

たしかに、組織論的に内向きにまとまるだけでよかった時代もあった。

それは自民党一党支配、つまり開発主義の時代、右肩上がりの時代の政治では、であって、いうなれば素人(ノン・プロ)は黙っていろの時代には、である。


しかし今は、(現実的に参議院の与党である)民主党との二大政党の時代である。

こういうわかりやすい、古い時代には有効であった、内向きの「自律的」(オートノム)では、対民主党(対「国民」)という意味では、戦略的に弱い。

福田さん有利で進むのならそれはなおさらで、福田さんは今の民主党との差異は少ない。

であればこそ、なぜ小沢さんではなく、福田さんでなくてはならないのか(つまりなぜ自民党である必要があるのか)を、この総裁選からノン・プロである国民にアピールしなくてはならない。(というか、今はそのチャンスである)。

そのためにも、その対立軸として麻生さんをクローズアップさせ、(たとえ福田さんが勝つとしても)ぎりぎりまで、麻生さんを盛り立てる必要がある、と(私は)思う。

もしくは、麻生さんが、だんだん盛り返してきて、まさかの逆転勝利とかね。

同じ派閥主導、挙党体制でやるなら、ここまでを党内で自律的にやって欲しいわけだ。(これを悪党的と私は呼ぶ)。(プロレス的、と言うと、わかりやすぎるか)w

ちょっとは期待していた小泉チルドレンは、やっぱり、ここでも役に立たない。(あっさり諦めるなよな、と。小池さんでも擁立すればよかったのに)。

「対立軸同士が、そこで意見を言い合って、国民に考える時間を与える形をつくる」。

これが「種の論理」でいう、「種」(党)を〈他者〉(この場合、ノン・プロとしての国民)に売り込む、戦略優位である。

米国の大統領予備選挙は、その典型的な事例だと言ってよいかと思う。