午前5時45分起床。浅草はくもり。今日は鹿児島へ出張。遅めの便なのだが、前代未聞の浅草寺のF1は、ちょっとだけ観ることができるかな、というところ。(微妙)
勝ち馬に乗ることだけが勝ちだとはとても思えない。/ましてや、派閥の親分が右だからと言って右に向くような、そんな先祖も驚きの先祖返りをするような選択しかできないようならば、はっきり言って政治家なんて誰でもできるじゃないか。/本当にこの国の未来を託せるのはどちらの候補者なのか。/議論が尽くされたとは到底思えないこの段階で、結論を出すことなど私にはできない。/最後の最後まで、じっくりと両候補者の政策主張に耳を傾け、いくら歳が若いからといっても国民を代表する政治家の一人として、投票のその瞬間まで自らの政治信条に照らし、私は一票を投じたいと思います。/杉村太蔵
上記は杉村太蔵ブログから引用(というか全文)なのだけれども、言っていることは、一理有る。
ただ、「はっきり言って政治家なんて誰でもできるじゃないか」等と書くセンスは、しょうもない。ギャグにも冗談にもならない。(それは太蔵さん、あなたのことだろうが、と)。小泉チルドレンは、「政治家なんて誰でもできる」状況から生まれたのだから。
パトリなき政治家
彼(女)らは、郵政民営化という、リバタリアン的というか、ネオリベ的政策を支持して生まれた(パトリなき)政治家である。
しかしその思想的立場とは裏腹に、とても集団的な人たちでもある。(そもそも思想なんてないのかもしれないが)。
彼(女)らは、エゴが強い(利己的)ゆえに集団的(利他的)になる、という進化的に最適な戦略(ESS)を無意識にとっている。
つまり、自分がかわいいために、集団的になる。「浅草は利己的な街なのである。だからこそ戦略的に利他的なのである。」が機能する。
それはパトリ(選挙地盤・地元)なき政治家の唯一の足場であるかのようにだ。
動物化
言ってみれば、それは、動物としての人間の、当然の行動でしかないだろう。
「派閥の親分が右だからと言って右に向くような、そんな先祖も驚きの先祖返りをするような選択しかできないようならば」という太蔵さんの批判は、だからまあ、どうでもよいのである。(動物的レベルでのはなしでしかない)。
太蔵さんは、反発して、わが道を行っているように見えるかもしれないが、それも、反福田という子宮的集団をあてにした発言であることで、それは福田さん支持を表明している小泉チルドレンとたいしてかわらない。
私は太蔵さんの政治的立場を、ほとんど知らない。好き/嫌いで言えば、どちらでももない。(小泉チルドレンという集合値としては嫌いだが)。
あえて
ただ、自民党としては、こういう人があと10人ぐらいいたら、(人間の考える、動物的ではない、しかし動物的に訴える)戦略的を「あえて」取れるのにな、と思う。
今、自民党に必要なことは、サプライズであって、安定ではない。
この政局不利な状態で党内で安定しても、それは民主党に有利に働く可能性が高い――さらに言えば福田さんでも麻生さんでも、小泉的なものへの反省を必ず孕むのだから、もっとずれをつくりだしてもよいと(私は)思う。
つまり、少しでも、国民の関心を総裁選に向けさせる必要がある、ということだ。(それしか、今とりえる戦略はないだろう)。
その意味でも私は、どう考えてもつまらないので、「あえて」麻生さんを応援するわけだ。
まあ、私がなにをどう騒いでも状況が反転するわけもないだろうが、ここで太蔵さんに期待する、と書いたら、これもギャグにしかならないだろう、な。(笑)