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藤田和日郎(著)
2007年9月21日 |
午前8時55分起床。浅草は晴れ。
遅い目覚めなのは、F1最終戦、ブラジルGPを見ていたためだ。
漫画のような(片山右京談)面白いレースだった。
閑話休題。
漫画と言えば、先週、岩見沢で、移動の時間のために『黒博物館スプリンガルド 』を購入した。
これは漫画である。
要は時間潰しのためのもの、なのだが、マンガは悲しいかな、あっという間に読み終えてしまう――ことで1時間程度の移動には丁度よかったりもする。
この手のものは、(普段は)ただそれだけで終わり、なのだが、『黒博物館スプリンガルド 』は不思議に記憶に残るものだった。
バネ足男
舞台は19世紀の英国。
主人公は「バネ足ジャック」と呼ばれた有閑貴族――ウォルター・デ・ラ・ボア・ストレイド公爵。
実在のモデルがいるとかの解説があるが、まあそんなことは長谷川平蔵(鬼平犯科帳)並にどうでもよいのであり、読者は、退屈した特権階級(お金儲けをする必要の無い特権階級)ほど、面白い存在はない、とイマジネーションを働かせればよいのである。(それは我々の究極の対極、非日常の存在でしかない)。
ストーリーは陳腐ではないが特別凝ったものでもない。
さらに藤田和日郎の絵は、好きでも嫌いでもない。
けれども、この19世紀の英国と有閑貴族、という設定だけで読ませてしまうのは、日本の時代小説と似たような構造を持っているのだろうな、と思う。(そのあたりの解析趣味は今は無い)。
漫画というイリュージョン
しかし漫画は、イリュージョンのひとつではあるが、ともすると、活字(小説)や落語とは違って、(イリュージョンの)ショートサーキット化を起こしてしまう。(つまりイマジネーション・想像力に制限をかけてしまう)。
それは興醒めには違いないのだが、アニメーションに比べれば、まだ情報量が少ないだけ、イリュージョンは広がる。
この漫画も、情報量の按配がぎりぎりセーフみたいなところがあて、イリュージョンは広がる――ことで想像力の残骸として記憶に残るのである。