ブッシュドノエル
ブッシュドノエル


ブッシュドノエル 午前6時起床。浅草は晴れ。風は強かったけれども空のきれいな一日だった。クリスマス・イブなので夕餉の食卓にはクリスマスケーキを準備してみた。クリスマスケーキが幸せな家庭の象徴だなんて、今やだれも思わないだろうし、その昔私がもっと突っ張っていた頃には、クリスマスなんざ日本人の祝うまつりじゃねぇ、といきまいていたものだ。けれど今の私はそんなことはいわない。あればあったでいいしなくとも困らない。つまりどうでもよいのである。

そんな私がよりによってブッシュドノエル(ビッシュドノエル)なのである。製造元は紀ノ国屋であるが私が青山に行くわけもなく青山は私から最も遠い東京である。購入先は浅草4丁目のダイマスであってそれは私的には合点のいくことでしかない。お買い物は近所の商店街でなのである。

フランス語でノエルが「クリスマス」、ビュッシュは「木、丸太」で「クリスマスの薪」の意。その名の通り薪(または切り株)の形をしている。基本的にクリスマスケーキとして食べられる。》とはWikipediaからのコピー&ペーストでしかなく私の知るところではないけれども、このロールケーキのデコ版を準備したのは、恵方巻のように食いたいと思ったわけでもなく、別に家族的に点数を稼ごうと思ったのでもない。

ほんとうは今年も自作ケーキをつくろとしたのだしそのための材料はすべて揃えていた。それがこれを見た途端に欲しくなってしまったのはケーキをつくるのが面倒くさくなったということもあるけれども、それもたぶんチロルチョコの大人買い的欲望がめらめらと燃え上がってきてしまったからだとしか思えない。だからといってこころが満たされるわけでもないようなね。

なぜなら〈対象a〉とは、まさにその歪曲の、つまり、欲望によっていわゆる「客観的現実」の中へと導入された混乱と錯綜の剰余の、具現化・物質化以上の何物でもないのである。〈対象a〉は客観的には無である。だがそれは、ある角度から見ると「何か」の形をとってあらわれる。(スラヴォイ・ジジェク:『斜めから見る』:p35)

今日はある角度から見たらブッシュドノエルだったのだろうな。その証拠に父への割り当てはこんなもんである。

ブッシュドノエル
ブッシュドノエル

追記:2008年12月24日 ブッシュドノエル2008年版

ブッシュドノエル2008 ブッシュドノエル

2008年のケーキもブッシュドノエルにしてみた。同じ紀ノ国屋のもので、もちろんダイマスで購入したものだが、昨年のものとはだいぶ趣が違う。がケーキとしてはかなりうまい。