エビとアボガドのオムライスドリア
エビとアボガドのオムライスドリア


午前7時30分起床。浅草は雨から曇りへ。

昨日は上野駅に用足しに出かけ、ついでの昼餉(ランチ)は雨模様で外を歩くのも面倒だったので、上野駅アトレにすることにした。古奈屋でカレーうどんでも食おうかと思ったのだ。丁度昼時でどの店も混んでいて、古奈屋の前にも行列ができていた。ならば新規開拓でもするかと斜め向かいの洋食寅八軒という店のショーウインドウを見たら、オムライスドリアという奇異なメニューを見つけ、ああ、これは洋食のマッシュアップなのかね、と。食べてみようかという気持ちになった。

当然に店は満員で待ち人は6人ほどいた。しかしこういうところのランチは待つのは当たり前だし苦にもならない。メニューも先に持ってきてくれるし、オーダーも先にとってくれる。店員は教育が行き届いているとみえ手際よく客をさばいている。それは見ていても気持ちのよいものだ。

私はエビとアボガドのオムライスドリアを頼む。ドリンクとデザートがついたセットで1449円(税込み)。単品だと980円+税。さほど待たずに中に入れば、これもさほど待たずに料理はでてきた。その姿形の第一印象は、なにか機械的につくられたモノの姿だな、であった。

私はまずオムライス部分を食べてみる。それは平凡な味というようりも、やはり機械的につくられたモノの味がした。エビとアボガドのホワイトソースはまあまあいけるけれどもオムライスがまったくだめなのだ。オムレツのパサパサさ、ケチャップライスの不毛。洋食のもつ艶がない。これはシミュラークル(魂の介在しない模造品)か、と思う。アウラのかけらもない。無限小が飛び回らない。料理人の顔が見えない。この店のコンセプトは下町の洋食屋なのだろうが、浅草にこんな洋食屋はない。

手作りプリント小倉アイスモナカ
手作りプリント小倉アイスモナカ

そういう想いが私の中に充満し始めると、愛らしいはずのデザートさえも小ざかしく思えてくる。坊主憎けりゃ今朝まで憎いなのだろうね。

と散々なことを書いてしまったのだが、私は普段、自分の気に入らなかったものはブログには書かないことにしている。不快な店は、だまってただ無視することにしている。提灯記事も書かないけれども、悪口も書かないことにしている――それはけっして何者も否定しない。《私は眼を背けるだろう。それが、今後、私の唯一の否定となるだろう。》(ロラン・バルト:『テクストの快楽』)なのである。それをあえて書いたのは、この店で、嬉しそうにランチをしている家族を見てしまったからである。

その楽しそうな様子見て、それを否定することができない私がいる。私は不快でも、あの家族は嬉しいのだ。その嬉しさは、この店が介在することで作り出したものなのだ。だとすれば、シミュラークルの、「街的」でないことの、なにが悪いのだろうか、と思ってしまったのだ。それが私の中でどんどんと大きくなってしまって、私の均衡は壊れそうになる。それでこの悪口のような、告げ口のようなテクストを書かざるを得なかったのだ。