FROM MOMOTI.COM

サイボウズOffice10へのバージョンアップをやりませんか。

2019年03月03日|お知らせ



2008年を斬る:本当の地方再生とは?―「官が頑張れば頑張るほど地方はダメになっていく」と片山善博・前鳥取県知事は言う。

公共事業は住民税アップで賄え

要するに、自治体は住民のニーズではなく、お金をくれる政府の意向にばかり配慮してきたのです。住民ではなく政府の方を向いて仕事をしてきた。だから、住民のニーズとずれた無駄なハード事業が横行してきたのです。

が本当に地域格差を是正したいのであれば、安易に政府の財政支援に頼らずに、自らの力で地域振興策を考えて、それを実行しなければなりません。

自治体が独自の地域振興策を考えて、考えて、考え抜いたうえで、どうしても必要な事業と判断するのであれば、その財源は自分たちの住民税を上げて賄えばいい。自治体が住民に事業とそのための増税の是非を問い、住民の賛同が得られるならば、それこそが本当に地域振興に必要な事業と言えるでしょう。

[2008年を斬る:本当の地方再生とは? (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)]

午前8時起床。浅草はくもり。[2008年を斬る:本当の地方再生とは? (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)]を読む。片山先生の主張は引用先を読んでいただくとして私の結論から書いてしまおう。それは国は地方にお金を出してもよい、いや出すべきだということだ。

しかし地方の問題はお金の問題だけではないのにそれに終始してしまっているのは、地方はもっと考えなくてはならない、というか考えざるをえないのに考えないからだ。考えていると言われるかもしれないが考えてはいないのである。それは考え方がわからないといってもよい。今や時代が違うのである。昔の「考えている」は今の「考えている」としては通用しないということだ。考えない方にお金をいくら差し上げてもザルである。なれば素直に「考える技術」から学ぶべきだろうと。つまりあたしゃ馬鹿だという自覚から始めるべきだろうと。

開発主義

開発主義の問題点は〈金魚論〉につきる。その問題はなによりも〈考えない〉ということに収斂してしまう。片山先生が「考えて、考えて、考え抜いたうえで」と強調しなくてはならないのは、開発主義では自治体は考えなくてもいいからでしかないし、そしてその延長上にある公共事業という産業も考えることを放棄してきた。

今日ありつける餌があるのかないのか、多いのか少ないのかは、自らの意志の及ぶところではありません。せいぜいできることといえば、ご主人様(餌を与えてくれる人)に嫌われないように時々なにかしらのご機嫌伺いをすることぐらいです。それから、同居しているほかの金魚に嫌われない、いじめられないというのも大事なことでしょう。餌をめぐる余計な争いはなるべくならしたくはないものです。

傍目からみれば、なんともお気楽な世界で暮らしているように思われますが、しかし、これは恐ろしい物語と同居していることでもあるのです。つまり、「餌はいつまで続くのだろう」という不安が首をもたげてきた時、だれもが疑わなかったこの世界の永遠性は静かに崩壊をはじめるのです。

[桃論―中小建設業IT化サバイバル論|Lesson1 本書の立場(1)―金魚論]

スティグリッツの法則

官僚は何を最大化するのだろうか。一つの答えは、「官僚は自分の属する省庁のサイズを最大化しようと努める」、である。(Josef E.Stiglitz:Economics of the Public Sector:W.W.Norton & Company:1986)

が機能するためにはパーキンソンの法則

官僚は、ライバルではなく部下を増やそうとし、お互いに仕事をつくりあう。

が必要なのだから、国と地方はライバル関係ではなく、絶対服従的に従順な、そして優秀な、しかしどこかで情の通った上司と部下の関係でなくてはならなかった。それはとっても乳臭い関係であるのだが、この国の基底に流れる組織的な行動理論であることで別に驚くにあたらない。私たちはそんなふうに出来ている。これを否定し得る行為は片山先生のいうように〈考える〉ことだけである。しかしそれさえ一部否定にしかならないのは説明が膨大になるので解説は書かない。

組織は円環的な慣性で動く。その組織的行動を受け入れざるを得ないのならば(つまり〈考える〉を放棄したければ)、ほんとうの問題は「誰のためにその組織は機能するのか」なのである。結論だけ書けばこの組織理論が機能するには君主が必要なのである。君主とは象徴のことであり〈けん制装置(機能)〉のことだ。

しかし江戸幕府も天皇制もない時代に、つまり象徴の貧困の時代に、民主主義と経済発展の名(象徴)のもとでこの組織理論だけが働けば、けん制装置の壊れた役人のエゴが資本の理論で担保されるだけでしかなくなる。

このフレーズを企業に置き換えれば「けん制装置の壊れた経営者のエゴが資本の理論で担保されるだけでしかなくなる」ことで偽装の問題は起きやすいということだ。

開発主義の成れの果てとはそんなものだろう。〈考える〉ことや哲学や理念を徹底的に否定すれば目的と目標の区分はなくなる。そして開発主義の成れの果てがなぜ今機能しないのかといえば、ぶれない軸としての大衆TV村)がなんらかのけん制装置の役割を果たしているからからだろうが、それがスパイト行動的であることで逆に役人に力を与えていたりもする

開発主義を冷たくあしらえばそんなものでしかないだろう。しかしそれを冷たくあしらえないのは、そこに人間の生活があるからだ。私たちは国の(役人の)都合に左右されながら、自治体の(役人の)都合に左右されながら、しかし生活する人間として生きなくてはならない。けれど資本の理論は冷たい。

だからこそ今という時代に、生活する人間は〈考える〉ことを放棄してはならないのだが、しかしいくらそう言ったところで皆さん考えないのである。個人のレベルで開発主義の呪縛から逃れられないでいる。TV村の住人はみんなそうなのである。だから荒治療ではあるけれども、片山先生の言うように「ほっておいてくれ!」はそのひとつの問題解決策かもしれない。人間追い込まれれば少しは考えるようになるのは私で実証済みである。私のような馬鹿でも少しは考えるようになる。しかし多くの役所的組織は〈考える〉個人がいないのでそうはならないのだな。つまり〈種の論理〉が成り立たない。

考え方がわからない

地方官僚の多くは個人としてそういう風(考えるように)に訓練ができていないし、ましてや中央官僚は地方に考えさせないことでスティグリッツの法則なのだからどうしようもないのである。しかし片山先生も私も「考えろ!」と無責任に言う。それはそうしないとこの時代はほんとうに生きにくいからだ。しかし問題は「考える方法(技術)がわからない」にあるのではないだろうかと(私は)思う。公共事業という産業は考え方がわからないのに考えさせられて頭がおかしくなってしまったとしか思えない今日この頃なのである。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年01月07日 10:59: Newer : Older

このエントリーのトラックバックURL

https://www.momoti.com/mt/mt-tb.cgi/1713

Listed below are links to weblogs that reference

2008年を斬る:本当の地方再生とは?―「官が頑張れば頑張るほど地方はダメになっていく」と片山善博・前鳥取県知事は言う。 from モモログ

トラックバック