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2019年03月03日|お知らせ



『笑うふたり―語る名人、聞く達人 高田文夫対談集』を読む―馬渕さんからのメール。

 笑うふたり

笑うふたり―語る名人、聞く達人 高田文夫対談集 (中公文庫)

高田文夫(著)
2001年9月15日
中央公論社
667円+税

やっと此方も、春らしくなって来ました。未だ発表されていませんが、恐らく今日の最高気温は、二桁。10℃位になるでしょうか?
さて、笑うふたり―語る名人、聞く達人 高田文夫対談集 (中公文庫)の紹介記事を読んでいたら、不意に先日、確か8日(土)の15時頃だったと思いますが、NHK BS11で古今亭志ん朝の「大工調べ」をやっていたのを思い出しました。何故?「粋」ですかね?
談志師匠と高田文夫の「粋」が、momologのほんの僅かの記事の中でも、伝わって来るんですね。
志ん朝の「間」、「呼吸」、私の少ないボキャブでは、とても言い表せませんが、噺が終わったあと、テレビなのに、思わず拍手をしてしまうくらい、引き込まれていました。
浅草の「粋」の中の住人を、本当に羨ましく思ってしまいました。
突然取りとめも無く、失礼しました。落語って、いいですね!m(__)m

岩見沢の馬渕さんからメールが届いた。ありがとうございます。メールの中の「紹介記事」とはこれのことで、それはブログとは違った趣旨で始めたものだ。つまりは桃知商店のサイトに、「フレーズ」というカテゴリをつくり、気に入ったフレーズの備忘録をつろうとしている。

つまりそれも「データベース的に書く」の実践なのだけれど、ほんとうの目的は、複製(使い回し)であったりもするのであって、あまり褒められたものではない。w

それはともかくも、馬渕さんは、あの短いテクストから「粋」を読み取ったとのこと。たしかに高田文夫さんは対談の天才で、この本と『江戸前で笑いたい』は、高田文夫"笑いの二部作"であり、「一家に一組は揃えておきたい名著」(@坪内祐三)なのである。

『江戸前で笑いたい』については、ずっと前(2000年9月9日)に書いた

まったくCALSとは関係ない話なんですけれどもね、私なんかが講演ではなしするときでも、最近は「江戸弁」で話すようにと、実は勉強なんかしているのですねぇ。

それはなぜかといいますと、そのリズムですね、言葉のもつリズム。

それが講演では非常にテンポが良くってですね、聞いてくださる皆さんの集中力を持続できるってことに気がついたからなんです。

当然そのヒントは江戸前の「落語」にあったわけなのでね、最近私が好んで落語関係の本を読んでいるのはなぜかという答えがここにあるのですねぇ。

早口でわかんないって言われるときもあるんですが、その早口を追いかけていただくっていうのも狙いにあるわけでして、私の講演っていうのは、普通、2時間3時間じゃ終わんないのでしてね、これがのたりくらりやっちまったら、全員爆睡か、目を覚ましておられても苦痛以外のなにものでもないんじゃないかなと、そう思うのです。

とにかく、せっかくお出で頂いた皆さんに、少しでも満足して帰っていただくというのも、私の大事な仕事なのであろうと、この辺をいろいろと模索しているという、まったく本末転倒なコンサルタントなんですよ、私は。

で、私は江戸の者ではありませんので、これ(江戸弁)をマスターできるのはまだまだ先になる(というか無理かもしんない)のですが、まあ、今現在(これからずっとかもしんないけど)、どうも著しく怪しいところは多々あるわけですが、極力江戸弁で疾走するような講演をしたいなぁと日々研鑚しているのです。 

って、落語聞いてるだけですがねぇ。

などとのたまっているのを今更に読めば恥ずかしい。最近のあたしは長時間喋るのも億劫で、なるべくならゲストに喋ってもらいたい。w

けれど、「って、落語聞いてるだけですがねぇ」は、ずっと続けてきたわけで、それが高じて正月と盆には、噺家を呼んで演芸会までしていたりする。

それは「おだん」を気取るわけじゃなく、あたしと同じような境遇の噺家さんとの仕事場の共有のようなもので、それが自営業者の生き方なんだ、とあたしは信じている。

一方、あたしの言葉は、今は江戸弁を意識することもなく、ただ浅草イディオムがあるだけだ。江戸弁を意識しようにも、江戸弁の人は、古今亭志ん朝さん、神田伯龍さんを最後に、この世にはいなくなってしまったのだから、もうどうしようもないのである。

「大工調べ」は、今年の新年会三遊亭あし歌さんがやってくれた。足利出身の彼は、江戸弁を意識してはなしている(ように思われる)けれど、江戸弁の師匠は、もういないのである。

「粋」というのは、あたしから最も縁遠いものだけれども、それは江戸っ子の美意識(粋と見栄と張り)であり、その発祥は遊里でございますよ。

宵越しの銭は持たない江戸っ子は、その日暮らしではありますが、金があれば消えモノ(食事とか芝居や相撲見学)に消費し、家財や貯蓄にはまわさない。それは火事が多かったからといわれている。

しかしそれだけではなく、江戸は封建制の時代であって、お上に歯向かうのはご法度であったことが大きいのだと思う。

つまりそれはストレスが溜まるわけで、今のように「テレビ村」やネットがその発散の場であるわけもない。だからそのストレスを、あくまでも間接的に、高い精神性のもとで発散させる術をみつけざるを得なかったのだろう(とあたしは)思う。

だからこそ町人を中心とした文化も生まれたのであって、落語もそういう金銭感覚や、社会環境の中から生まれた文化だろう。

さらにその金銭感覚は、けっして自分のためならず、家族、仲間、知り合いも巻き込んで、損得なしになのである。ここに江戸の「街的」は生まれたわけだ。

だから高田さんはいうのですよ。「町内会もしっかりする」とね (もっともこれは、戦時下のそれなので鵜呑みにしちゃいけませんが)。

ところで本日3月10日は東京大空襲の日である。裏浅草に住んでいつも思うのは、あたしは沢山の屍の上に住んでいる、ということであって、それは関東大震災もあったし、江戸の数々の大火もあったし、吉原炎上もあった。

そういう地図のもつ暦の上であたしは生きている。3月10日にはそういう記憶が刻み込まれている。それはここに住むなら否応なしにである。しかし、ここには屍が積み重なっている、という思いは、べつに感傷的なものでもなければ恐怖を抱くものでもない。ただ、そのうちあたしも、その仲間入りするのだから、今は目一杯生きてやろう、と思うだけのことだ。

そんときゃ「よろしくお願いします」なのである。

ぜんぜん「粋」なはなしでなくて、すいません。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年03月10日 21:50: Newer : Older

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