桃知商店よりのお知らせ

自分のためにしたことが「われわれ」のために成りえるシステム。(何かのモチベーションが必要なこともたしかだが)

建児の会 山鹿の風
建児の会                 山鹿の風
熊本建設業協会人吉支部建児の会  山鹿市管工事業協同組合青年部会


6時45分起床、浅草はくもり。時には仕事のはなしでも書こう。先週、熊本で考えていたことは、「事業者団体のブログ化の難しさ」なのだが、「岩見沢生活空間創造システム」は、その難問に対するひとつの「答え」となっているだろう、ということだ。

事業者団体のブログ化の難しさとはつまり、

ブログの投稿なんていうのは技術的には難しいものではなく、協会のブログ化での一番の課題は、誰が何を書くのか、に収斂してしまう。/それは最初に乗り越えなくてはならない壁なのだが、なぜそれが壁なのかといえば、ブログはとても私的なものだからだし、協会は公(おおやけ)なものだからだ。(その生い立ちをみれば、この両者は水と油のようなものだろう)。[ももち ど ぶろぐ|協会のブログ化の難しさ。]

ということである。「私」が「公」に書く、これがフツーはできない。しかしこれがフツーにできる方々もいて、そんな方々をあたしは、(橋本治風に)[自分のことを考えろ、といわれると、「われわれ」のことを考えてしまう人たち]と呼んでいる。

それは[贈与]の人達であり、まぁ、そんな人達は今や珍しい存在なのであて、全てがそんな人達ばかりなら、心配事は少ない。

しかし[交換の原理]が支配的な今の時代には、[自分のことを考えろ、といわれると、自分のことしか考えない]のがフツーなのである。そんなフツーの方々は、自分の利益に直接的に結びつかないことはやらないのだから、協会のブログに何かを書くこともない。

それは繰り返すがフツーのことなのであって、つまり悪いこととは(世間一般的には)思われていない([交換の原理]的には)。

しかし、そんなフツーの方々で、今や、事業者団体は構成されているのがフツーなのだから、フツーにやっていれば、、「事業者団体のブログ化」というのは頓挫するのは当たり前なのである。

しかし、その頓挫を、「たかがブログ」と見過ごしてしまえば、やがて事業者団体そのものが頓挫することは目に見えている。

つまり、世の中、[自分のことを考えろ、といわれると、自分のことしか考えない]人達ばかりであるなら、「事業者団体」=「われわれ」「種」「中景」「街的」も無くなってしまう。

つまりそれは、「」も無くなるのである。(「われわれ」が無いのに「」があることはない。「われわれ」無きところにあるのは「みんな」でしかない)。

どんな事業者団体でも、今直面している(若しくはやがて目の当たりにするだろう)究極の問題は、これなのだ。(つまり事業者団体そのものの存在意義の問題である)。

ではどうするのか。というところで、[自分のためにしたことが「われわれ」のために成りえるシステム]をつくればよい、というのがあたしの仮説なのである。

つまり技術的に、そうなってしまうシステムをつくってしまえばよいだろう、と考えてきた。その実現化の第1号が、「岩見沢生活空間創造システム」なわけだ。

岩見沢生活空間創造システム」は、岩見沢建設協会という「公」の器には違いないが、それを構成しているのは会員各社のブログという「私」であって、「」が「」の為に(営業活動は勿論OK)書くことが、つまりは「公」=「われわれ」の器を充実させることになる。

しかしそれは、「」が「われわれ」を支えるという片務的なものではなく、相互に補完し合ってもいる。

それはまるで。アダム・スミスの「神の見えざる手」のようなものなのだけれど、ただ違うのは、このシステムは「見える」のだわね。w

そしてこれ、機械的(システム)とは云ってみても、書くのはあくまでも人間であることで、何かのモチベーションが必要なこともたしかだが。

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