爆風スランプ午前7時起床。浅草はくもり。今朝は江弘毅との往復書簡を書いてみた。

2008年5月22日:突然の改題。すべての道路はジャスコに通ず。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡

前略、江弘毅様。私は桃知という変人にこき使われているパソコンでございます。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡


結構時間がかかったのは、5月に入ってから「テクスト書けない病」が続いていたからであって、それは江弘毅曰く、

書「こう」とパソコンを開く→テキスト書「か」ない→インターネットする→テキスト書「こうとし」ない→インターネットをまだする→テキスト書「け」ない

でないないづくしで重症ですわ。
オレもいっつもそうです。

先月の「バジリコバジリコ」落としました。

まあそれもありかと。

で、それはあたりだわ、と。で、そのスパイラルから如何に脱するかに苦慮していたのだけれども、内田先生のブログ「X氏との生活」にいいもの見つけたモンねぇ、でがぜんやる気になった。

どうして自分の名前を三人称に置き換えて文章を書くことがたいせつなのか。
これについてはモーリス・ブランショが間然するところのない言葉を書き記している。

「どうしてただ一人の語り手では、ただ一つのことばでは、決して中間的なものを名指すことができないのだろう?それを名指すには二人が必要なのだろうか?」
「そう。私たちは二人いなければならない。」
「なぜ二人なのだろう?どうして同じ一つのことを言うためには二人の人間が必要なのだろう?」
「それは同じ一つのことを言うのがつねに他者だからだ。」

ということで、今回はそれを試してみたのだが、これは結構書けるもんだわ。ただ《読者が作品を享受することで得られる快楽》はないのであるな、享受できない不快感を目指して書いてみたわけだから。w