麦藁蛇
江戸時代の草紙『江戸塵拾』において
「寛永の頃、駒込の喜八という者が、ふと是を作って富士浅間神社の祭礼の位置で売ったところ、多くが珍しげに買って帰り家の中に飾った。その年の七月に疫病が流行ったが、是を飾った家の人は一切病気にならず、その後誰もが祭礼の際に是を求めた。」
とあり、そうしたことから江戸中の浅間神社が麦藁蛇を御守として頒布するようになったと伝えられています。
当浅草富士浅間神社に於いても昭和初期頃までは境内において植木市の風物として頒布されていいましたが、いつのまにかその形を見ることはなくなりました。
それがつまりは復活したということなのだで、それはかなりヘンなかたちをした御守りであり、どこが蛇なのかよくわからない。赤いのが舌らしい。蛇は水神である龍の使い(仮の姿)とのことなので、水道の蛇口や水回りに祀るといいらしいが、うちは今、簡易神棚にあったりする。
子宮的構造
夕方、お富士さんの植木市へ出掛ける。浅草寺のやや北東に位置する(浅草神社の後戸の神と考えてよいだろう)浅草富士浅間神社までの道は、一葉桜・小松橋通りも、柳通りも、子宮的構造の参道と化していて、真っ直ぐに歩くことを阻止していた。それはまことに正しい風情である。
茅輪くぐり図解
あたしは、きゅうりの一本漬けを食べながら一葉桜・小松橋通りをふらりふらりと歩き、浅草富士浅間神社(お富士さん)へ。いつものように茅輪をくぐりお参りをし少しだけ生まれ変わる。
それにしても皆さん茅輪のくぐり方を知らないようで、輪っかの前で説明書きを熱心に読んでいる。けれど読んでもちゃんとくぐらない。
「水無月(みなづき)の夏越(なごし)の祓(はらい)する人は千年(ちとせ)の命のぶというなり」と唱えながら、会田誠の「紐育空爆之図」(1996年)のように、左に1回、右に1回、そしてまた左に1回、メビウスの帯を描けばよいだけなのに(説明になっていないな)、なんなんだろういったい。(画像引用:http://fukuhen.lammfromm.jp/2007/05/post_48.html)