午前6時30分起床。浅草はくもり。吉谷さんからふじいちの干物をいただいていて、朝餉に干物の日が続く。それは今の浅草(日本か?)では贅沢なことだよな、等と思う時代になるとは、夢にも思わなかったけれど、積み重なってやってきた干物を、一枚一枚剥がしていくとき、あー、やっぱりあたしには干物だよな、等と思うようになったのは歳をとったせいばかりではないだろう。
グローバル経済の恩恵で、中国でも産業化がすすみ、国民所得が高まり、食の文化も複雑になってくれば、日本のような魚の食べ方も「有り」になってくるだろうし、そうすれば限られた資源のぶんどりあいでしか漁業はやっていけなくなるのだとすれば、それは仕方のないことかもしれないけれど、なんだかな、なのだし、今は原油高の影響もあって漁獲量そのものを人為的に減らしているのだろうし、かといって魚の値段というのはなかなか上がらないものだとも聞いている。
そいう苦しい漁業の純生産としての干物が、普通に食べられなくなる日、というものを想像することは、今は難しくなくなっている。しかしそんなことを想像しても、あたしには何もできることはなく、あー、サバがうめー、等とのたまいながら、ただひたすら魚の消費拡大に寄与するしかないのだわね。
追記:アジとエボダイを焼いてみた。