遠野ブルベリージャム
遠野ブルベリージャム
(別にモノクロにしたのではない。これが原色なのである)


遠野ブルーベリージャム

トーストにブルーベリージャム最近のトーストの友は、遠野ブルーベリージャムである。これは岩手の佐々木さんからいただいたもので、その辺で売っているものとあきらかに違うのは、ブルーベリーの粒が生々しいことだ。

その生々しさは、全てが粒であることのリアリティであって、感じとしてはイナゴの佃煮に近い(違うか)。

あー、あたしは今、間違いなくブルーベリーを食っているぞ、という確信的なうまさに溺れる。

宮守川上流生産組合

あたしはブルーベリーには「かなしい」想い出はない。それは最近覚えた味でしかない。しかしこのジャムは「かなしい」を孕んでいる。こんなに「かなしい」ジャムも滅多にない。

容器の裏のラベルにある「生産者 宮守川上流生産組合」というクレジット。それだけで薄い遠野の記憶を辿ることはできるけれど、それはあたしの空想。宮守町は、あたしの知っている遠野ではないだろう。宮守川上流生産組合について書かれた5年前の古い新聞記事をみつけた。

遊休農地に新作物

遊休農地の活用では、新たに部会をつくりブルーベリーやワラビを導入、来年から出荷の運びだ。直売部会や加工部会も活動が軌道に乗ってきた。

最近では、グリーン・ツーリズムや環境整備にも力を入れる。生きがいの持てる高齢者の労働として、けい畔へのアジュカなどグランドカバープランツの植栽を計画的に進めている。

照井組合長は「高齢者や子供がいて地域がある、との考えで動いている。地域の資源や人材を生かし、生産から販売まで一元化したい」と、自信をみなぎらせる。将来的には法人化も視野に入れる。

組合長の「高齢者や子供がいて地域がある」というフレーズに、あたしの「かなしい」が共振している。このジャムの「かなしい」は、きっとこういう心象から生まれてきたに違いない。それはジャムという純生産に纏う無限小、つまりは、見える人にしか見えないものでしかないのだけれども。ということで、午前5時起床。浅草はくもり。