金魚論私とは
私と私の環境のことである
そしてもしこの環境を救わないなら
私も救えない
オルテガ・イ・ガセット


2008年10月2日葉月会での講演で使用したPPT。

解説

経済学が生んだ二つの問題解決方法の弁証法もしかしたら、あたしたちは今、奇跡的な環境(麻生政権)にあって、それは勿論、公共事業という産業(金魚鉢)の中にいる私の、本来の環境である。

だからその環境を救わないなら、私も救えないのは当然なのだけれど、北海道10区の悲しさときたら、なんだろう。

今回のあたしに対するリクエストは、「囚人のジレンマゲーム」についてのはなしをしてくれ、というものだっけれど、1回限りの囚人のジレンマゲームのような入札制度が北海道で横行しているのは、まだ、マーケット・ソリューションが機能している(というよりも、その慣性にある)からだ。

しかしその赤狩りのようなものの勢いもやがて減退してくるのは、英米流の金融資本主義の破綻というヘゲモニー(覇権)の転換期に世界が差し掛かったからであり、これからのトレンドは(今までの反動として)、多極主義、ローカル重視、町内会的に向かうだろう。

それは元々がローカルな存在でしかない「われわれ」にとって、悪いはなしではないだろうが、それにしても、どうやったらこの環境を救えるのだろうか。小泉さんの時代に落下してきたた自民党議員(小泉チルドレン)は、まるで時限爆弾なのである。

われわれはローカルな存在である

しかし(楽観かもしれないが)、時代は「われわれ」に向かってきている(ような気がする)。だからといって、そこでの「われわれ」は、かつての「われわれ」であるわけもなく、つまり「おぼんのような世界」であっていいわけもない。だとすればやることは決まっているのであって、それは今までの「われわれ」(葉月会)と違うことでもないわけだ。