熊本県球磨地域振興局で購入された物品の一部(20日、熊本県人吉市の同振興局で)=内村大作撮影地球儀に金属バット、携帯音楽プレーヤー、そしてDVDプレーヤー――。昨年7月の裏金調査で「不正はない」といったんは結論づけた熊本県で20日、1億円に上る不正経理が判明した。

(中略)

これらの物品は、同課以外の職員も使っていた。県の聞き取りに対し、職員らは「バットは職員同士の親睦に使った。地球儀は机に置いて眺めていた。携帯音楽プレーヤーは会議の録音用」などと説明したという。ほとんどの物品が、職員の私有物のように自宅や異動先の職場に持ち込まれていたという。 from iPodやバット…熊本の不正経理で購入、お持ち帰りも : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


うちには地球儀はない。ただでくれるといわれてもいらない。それは置く場所がないというのが第一の理由だけれども、そもそもあたしは、地球が丸いということが気に入らないのである。

地球は丸いかもしれないが、平でもぜんぜん困らないのである。北海道に飛ぼうが、九州に飛ぼうが、ずっと平なのである(たぶん)。

地球は丸いなどといい始めたころから人間は能書きをこくようになった。だからコロンブスはいけない。コロンブスに発見された人々は総じて不幸になった。コロンブスに味をしめて、ニュートンとかデカルトとかが能書きをこくようになった。その末裔が地球儀である。

しかし「地球儀は机に置いて眺めていた。」は笑える。どういう心象の持ち主が「地球儀は机に置いて眺めていた」のだろうか。普通、役所の机というのは書類だらけで狭いことになっている。役職の低い職員の机の上に地球儀なんぞ置くスペースはないはずである。

地球儀を置くスペースが机になければ「地球儀は机に置いて眺めていた。」は行為として履行不可能である。であれば「地球儀は机に置いて眺めていた。」のは、机にそのスペースのある役人ということになる。それはかなり役職の高い方だったと推測されるがどうだろう。

もう役人が何をしても驚かないけれど、「地球儀は机に置いて眺めていた。」はその答え方において、一線を越えてしまっている。たぶんこれは「なんでもいいから金を使いたかった。」のであって、「だれでもいいから人を殺したかった。」とたいして違わない。

そして「だれでもいいから人を殺したかった。」のは精神的に具合の悪い方と相場は決まっていて、だからそんなことを言ったり、実際にやってしまった人は、精神鑑定を受けることになる。

だとすれば「地球儀は机に置いて眺めていた。」方も精神的に具合の悪い方のはずで、精神鑑定を受けていただきたいのであるし、そもそも精神的に具合の悪い方が行政の仕事をしていることがヘンなのである。そしてなによりも、そんな人に金属バットをもたせちゃいけないのである。