深川江戸博物館昨晩は深川江戸博物館へ落語を聴きに出かけたのである。

それはDVDの収録のための落語会であって、ご招待であり、誰か目当ての噺家さんがあったわけでもない。

なにしろ主催者の事前通知によれば当日の出演者は「わからない」なのである。

あたしの興味は、DVDの撮影用の落語会というのはどんなものなのかね、というだけのことで、なぜなら収録なんていうのに居合わせるのは、ずっと昔のカックラキンの公開録画以来のことなのであって、つまりはミーハー気分満帆、もうそれだけだったといってもいいのである。


しかしそれは、思っていた以上に時間のかかる落語会で、前座、落語、色もの、落語、中入り、落語、落語と、ホール落語の番組としては一通り以上の構成は、18時30分に始まり終わったのは22時少し前である。

事前の案内では21時15分の終演だったのでかなり長引いた。普段ならその長引いた分は得した気分になるのであるのだろうが、あたしはとてもそんな気分にはなれなかた。つまり疲れたのである。 

それぞれの噺家さんの出し物は、色ものさんを除けば、全部が「たっぷり」なのであって、全部が古典であり、名作であり、大根田である。

寄席で15分の噺を、オムニバス的に、口をポカンと開きながら、時々せんべいでも食べ、ついでにペットボトルのお茶を飲み、時には眠ったりしながら、そのぼんやりな時間を楽しんでいるような、タブブラウザで窓を沢山開く、そんな落語ではないのである。

最初の録画用の噺は大凡45分かかった。それは「文違い」なのだが、あたし的には「文違い」は20分以内でやってくれなのである。

あたしらは、たしかにただ聴いているだけの観客で、勝手に脳内イリュージョンしているだけなのだけれども、昨晩の落語会は、ほとんど準備体操もしないで、いきなり42.195kmのフルマラソン エリートクラスにエントリーしてしまった市民ランナーようなもの(それ以下か)で、運良く心筋梗塞で倒れる人がなかったのは、やっぱり落語会だからだろうが、それよりも全員椅子に座っていたことが幸いしたのである(たぶん)。 

普遍経済学しかし会場には無料タダで聞いているという後ろめたい気持ちの観客しかいないのである。その後ろめたさというのは、この無料が、純粋贈与ではなく贈与であることから生まれる心象であって、観客は無料という贈与のお返しに主催者に忠実であることを期待され、そして見事にその役割を果たすのである。

みんなは、これは撮影なんだと知っているのでございます。それを邪魔しちゃいけない、少しでも寄席の雰囲気をつくりだすのに協力しなくちゃいけない、面白くなくても笑わなくちゃいけない、しんみりとした噺のときはお静かに、そういう立場にあたしたちはあるのよ、と頑張るのでございます。

だから、進行役の前座さんの、簡単ながらも命令的な注意事項をよく守り、拍手の仕方も寄席にはない真剣さ、金正日のような、片手でApplauseじゃいけない。懸命に Clap your hands!なのである。みんながんばるのよ!とみんながみんなに無言で声援を送る、自己統治である。あー。

そういうただならぬ雰囲気だもの、会場が落語的に暖まるのは難しいわけで、それはDVDの一発撮りという条件ともあいまって、噺家さんには重くのしかかるんだろうなと思うような噺が続いたのである。これは聴いてる方も噺ている方も、つらいなー(つらいんだろうな)、という時間だった。

そういうものが「作品」となり世に出るわけだが、はたしてそれは落語なんだろうか。