各国の経済対策規模
各国の計座剤対策規模
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午前7時30分起床。浅草は晴れ。町内は一葉桜祭りがあり、花魁道中がある。天候にも恵まれ、ちょっとばかり賑やかな町内会になる予定の土曜日なのである。

総合経済対策

自民党は9日、国費で15.4兆円となる追加経済対策を取りまとめた。すでに成立・実行中の景気対策(財政支出12兆円程度)と合算すると規模は27.4兆円(2740億ドル)となり、これは年間GDPの約5.1%程度に相当する。 from http://special.reuters.co.jp/contents/package

経済対策は大した反対もなく粛々とすすむのである。小さな政府が標榜されていた少し前であれば、このような政策は暴論でしかなく、言っただけでケチョンケチョンに貶され、政治家であれば、政治家生命も絶たれかねなかったはずだが、今はなにも起きない(たぶん)。

それを時代の流れとか時代の空気とかいう人がいるけれど、時代がなにか要求してくるわけはない。けれど時代が人の都合と同義であれば、たしかにそう言えないこともなく、つまり時代の流れとは人の都合である。

けれど人の都合とはいっても、その人が誰なのかは有耶無耶なのである。有耶無耶は有耶無耶のままでいいというのは、有耶無耶を考え尽くした人が言えることあって、あたしらは有耶無耶なのではなく、ただ「なんだかわからない」だけである。

なんだかわからないものに出合ったとき、人のやることは、

  1. 99%が無視する
  2. 1%がなんだかわかるまでに考えてみる

こんなもんだろう、とあたしはいう。あたしは、なんの不幸か、1%の「なんだかわかるまで考えてみる」人なのであって、「人の都合って誰の都合よ」と考えてしまうのである。

そして、人の都合って、いてみればこれは「みんな」の都合だよね、といってしまうのである。

「みんな」とは「消費者」のことである。

とすれば「消費者」の都合とはなんだろうかと。

それはあたしの都合なのかと。

といえばそんなことはなく、車を持たない、というか必要としないあたしには、高速道路が一律1000円になろうが、車の購入に助成金が出ようが、そんなことはまったく関係がないのである。つまりあたしの都合ではない。

地デジ対応テレビの購入にも助成金が出るようにしたいらしいけれども、うちのテレビはとうの昔に地デジ対応なのであって、つまりそれもあたしの都合ではない。

テレビニュースの解説ぐらいしか聴いちゃいないけれど、あたしに関する限り、今回の経済対策の諸々なんて、なんの関係もないのである。

自転車を買うのに助成金くれないかな等と考えたりする。年間10万円以上新幹線や飛行機を遣ったら2割ぐらいポイント還元してくれないかなと思う。

ポイントは税金の支払いや社会保険料の支払いに遣えればいいのに等と思う。それがあたしの都合なのである。

とここまで書けば、時代の流れ≒人の都合≒「みんな」の都合≒「消費者」の都合が、あたしの都合ではないことはわかる。ぶっちゃけそれは商品を生産し売る方の都合であるだろう。

生産設備過剰、つまり商品生産能力が、商品を消費する能力を上回ってしまっているのだから、消費の力を喚起しなくてはならないと。これは立派なケインズ政策である。

そもそもがケイジアンであるあたし的には、方法論での文句はあるけれれども、総論賛成すべきなんだろうな、と自分に言い聞かせている。しかしなんか面白くなかったりしている。

その「面白くない」がなにかといえば――途中は省略するけれど――反ケイジアンからの反論の無さであって、新古典主義はどこへ行ったのだ。根性なしが、と思っていたりする。これじゃ、あまりにも「つまらねー」じゃないか。

世の中は差異でできていて、つまり意見の違う君がいるから僕がいるのである。みんな同じじゃ「」も「われわれ」もないのである。だから「みんな」になるのだけれども。

それはマーケット(株式市場)では顕著であって、マーケットの連中なんて、ご都合主義の最たるモノなのだ。一昔前は構造改革、金融資本主義、アメリカの消費バブル万歳一色だったのに、今は経済対策に頼りきりである。株価が上がりさえすれば、政策、主義主張なんてどうでもいいのだ。そういう連中に限って政治に口出しするから嫌らしいのである。あー厭だ!

けれど、こんなところで怒っちゃいけない。

あたしは常々、地方に対する経済対策、財政出動は継続的に必要であって、それを無理矢理断ち切った小泉さんの「三位一体の改革」は阿保のやることだ、と言ってきた。それは「」の要求であり「われわれ」の都合ではあるけれど、「みんな」の都合ではなかった。

だから「みんな」の都合的に、公共事業はダメなのね、という小泉さんが支持されたに過ぎない。それが今回の経済対策には「」の要求であり「われわれ」の都合も含まれていたりする。

そして「」の要求であり「われわれ」の都合に対する反論は弱いどころか支持さえしてくれる「みんな」もいたりする。つまり「」「われわれ」の都合が「みんな」の都合に含まれていたりすることの不思議さよ、というかなんだか知らないうちに「」「われわれ」の都合はかなりの部分通りそうなのである。

ん~、なんだかよくわからない、こんなんでいいのか、とあたしは思う。

」「われわれ」の都合が通ることに「こんなんでいいのか」というのは何事かなのだろいうが、それは長くは続かない――消費税があがる頃には、また「」「われわれ」の都合は、「みんな」の都合ではなくなっている可能性が高いだろう――という危惧である。

そしてもう一つは、「」「われわれ」の都合が、けっして「みんな」の都合に、意見として取り入れられたのではない、ということである。それは議論がないままにすすむ総合経済対策という政策の怖さでもある。

※注記