映画『マックス・ペイン』を観てきた。といってもこの映画は4月18日からの全国ロードショ―なのであって、つまりは試写会にいってきたのである。

主演は『ディパーテッド』でアカデミー賞ノミネートのマーク・ウォールバーグ。渋くていい男である。

最愛の妻子を惨殺された苦しみに耐えながら、復讐のためにその犯人を追い続けるNY市警の刑事マックス・ペインを演じている。

最新作『007/慰めの報酬』のボンド・ガール、オルガ・キュリレンコが、キーとなる謎の女をセクシーかつミステリアスに演じていたりする。なかなかいい女である。

監督は『エネミー・ライン』のジョン・ムーア。オタク的才能※1の持ち主である(たぶん)。


マックス・ペイン』は、妻子(愛するもの)を奪われた男の復讐劇、予想どおりのチャンバラ活劇であり、あたし的には、『キル・ビル』もしくは『河内十人斬り』なのであった。

あたしはチャンバラは嫌いじゃない――どころか大好きである。

年寄りがチャンバラ活劇を好むのは確かだが、なぜそうなのかといえば、年寄りの水墨画のような人生に、「死ぬまでドキドキしたいわ。死ぬまでワクワクしたいわ。」(@YUKI)※2を蘇らせるからである。

できのよいチャンバラ活劇は骨盤のあたりがじーんと熱くなる。水墨画の人生が総天然色になる。

だからといって、そこに性的な描写が必要なわけもなく、復讐は重要な要素だが、しかし復讐の理由は重要ではない。

俺のケーキを食いやがって。くそー、生かしちゃおけねぇ、でもいいのである。必要なのは怒りと悲しみなのだ。怒りと悲しみの蓄積と凝縮と圧縮と解放。「かめはめ波」である。

この映画も怒りと悲しみを観客と共有することから始まる。しかし怒りと悲しみを〈他者〉と共有することは意外と難しい。「そんなの、怒る(泣く)ようなことかい。」という怒りや悲しみの理解不可能性はよくあることで、しかしそれでは物語が成立しないから、その最大公約数が「妻子(愛するもの)を奪われたた男」なのである。

映画は怒りと悲しみの充満へすすんでいく。もちろん観ているあたしたちの怒りと悲しみのボルテージも上がっていく。じわりじわりと上がっていく。骨盤が熱くなる。そこにあまりくすぐりはないけれど、その直進性故に「待ってました! 」なのである。

斬って斬って斬りまくる――のではなく、撃って撃って撃ちまくる。

町田康さんの『告白』※2 的に書けば、正義のために。撃つ。全員撃ち殺す。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ、撃つ。全員撃ち殺す。撃つ、撃つ。撃つ。撃つ。全員撃ち殺す。撃つ。撃つ。撃つ、撃つ。撃つ。撃つ。撃つ、撃つ。撃つ。撃つ。全員撃ち殺す。である。

「カ・イ・カ・ン!」(by 薬師丸ひろ子)。

それは抑圧から解放へのカタルシス――だから、ガン・アクションの描写こそが、この映画の成否だ。ただしそれを陰惨なものとさせてはならない。

なぜならそれは「殺陣」であるからだ。 

(たぶん)オタクのジョン・ムーア監督は、最新のスローモーション・カメラ(Motion Camera System)を駆使し、まるで劇画のようにそれを描く。その世界は、瞬間を二次元に捉え表現してきたあたしら日本人の脳みそには何の違和感もなく、快感として投影される。

ボール(弾丸)が止まって見える(@川上哲治)なのである。

やるなスーパー・フラットと感心するあたしの想像界は、その巧妙な機械的イマジネーションに塗りこめられ、試写室を出たときは 仁義なき戦いの頃の高倉健さんだった。

ということで午前5時起床。浅草は曇り。 

※注記

  1. オタク的才能」(サイト内検索結果)
  2. YUKI―JOY。 参照
  3. ご存じ「河内十人斬り」である。『告白』 町田康を読む―あかんではないか。 参照
  4. 付録:マックス・ペイン仕様のオモシロデコ素材
    マックス・ペイン仕様のデコ素材
    作成はこちらで http://movies.foxjapan.com/maxpayne/

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