野村宗弘(著) |
野村宗弘(著) |
あたしはほとんど漫画を読まない人で、今どんな漫画が世間的に読まれているのかはほとんど知らない。この『とろける鉄工所』という漫画を知ったのは、岩井さんのところのブログ記事 からであって、「いわしん」さんの紹介記事がよかった。
昔、ドドウの笹口組いう漫画がコミックモーニングに連載されてましたが、講談社はガテン系の漫画が好きなんでしょうか?
このまんがね、鉄工所が舞台で溶接にかかわる技術や、危険なこととか書かれているんですが
人間関係の話もなかなかいい味出してるんですよ。とろける鉄工所にしても、ドドウの笹口組にしてもこの手のまんがは建設業に従事してると細かいところや何かで
知らない人の2倍は笑えると思うんですよ
ブルーカラーの人に結構人気があるらしいのですが
私としては、スーツにネクタイの人に読んでもらいたいな
物を作る人の見る目が変わるかも
そう、あたしからも『スーツにネクタイの人に読んでもらいたいな』なのである。そういう漫画なのである。
最近、「作品」としてまとめることの大切さのようなことを(今更ながらに)考えるようになり、つまりこのブログのように、思考のプロセスを書き連ねる、メモ書きの集合体のようなものではなく、例えば一冊の本にすること。例えば文字ではなく、絵とか、写真とか、インタラクションのようなものにすること。思考・創造性をひとつの「作品」とすること。そんなことを漠然と考えていた。
それはブログというかWebの限界のようなものを感じているのか、といえばそうであるかもしれず、いや違う、とえば、違うのかもしれない。
『とろける鉄工所』を読んで、そしてこの漫画を読むことになった経緯を考えて感じたことは、「作品」(一冊の本)となることは、ネットワークのHUBになることなのだなと思う。
つまり、この「作品」は非常にマイナーな分野に関しての「作品」であるが、この本がHUBになることで、そのマイナーな分野のネットワークは、インターネットを経由して、多少なりとも広がりをもつことができる。
そういうものを、持続的に形成できるネットワークを漠然と考えていたりする。つまり、公共事業という産業にとって「作品」とはなんなのだろうか、と。しかしその「作品」をあたしが創れるわけもなく。