SMAP・草なぎ容疑者逮捕、全裸で騒ぐ…「なにが悪い」
東京都港区内の公園で下半身を露出させたとして、人気アイドルグループ「SMAP」の草なぎ剛容疑者(34)が23日未明、警視庁赤坂署に公然わいせつ容疑で現行犯逮捕された。(なぎは弓ヘンに「剪」)
同署幹部によると、草なぎ容疑者は23日午前3時頃、同区赤坂の同区立檜町公園内で下半身を露出した疑い。
同日午前2時55分頃、付近に住む男性から「酔っぱらいが公園で騒いでいる」との通報があり、同署員が駆け付けたところ、全裸で1人で騒いでいる草なぎ容疑者を発見。同署員が声を掛けると、「裸で何が悪い」などと叫んだという。
草なぎ容疑者は泥酔しており、23日朝、呼気検査をしたところ、呼気1リットルあたり0・8ミリ・グラムが検出されたという。草なぎ容疑者が着ていたとみられる服は公園内で見つかったという。
(2009年4月23日10時02分 読売新聞)
あら、あの草彅くんが……、とTVのニュースを見れば思うしかない。もちろんあたしは草彅さんの知り合いでもなければ、友達でもなく、ただの他人でしかないのだけれども、それでも、あら、あの草彅くんが……と思ってしまうのは、あたしが立派なテレビ村の住人でしかないからであって、あたしは一方的にだけれども草彅くんの顔と何を職業にしている人なのかぐらいは知っている。そしてまるで町内会のあんちゃんのような親近感さえ抱いている。
それはテレビが「みんな」にとってのムラ社会※1 として機能しているからに他ならず、つまり失われた共同体の機能等価物であることで、そこで見られる者に匿名性はなく、ゴシップに溢れていることで「みんな」のムラ的な心理を充足させようとしている――その中にあたしもいるということだろう。
しかし草彅くんと同じことをやっても、あたしがテレビに出ることはないのは(たぶんだが)、じつはあたしはテレビ村の住人ではないからでしかなく、TVムラとは片務的な共同体でしかないのである。あたしはいつでもブラウン管(というかディスプレイか)の向こうからは姿が見えない「みんな」に過ぎない。
あたし的には(というか内の近所的に)は、これは珍しくもない事件でしかなく(たぶん)、赤坂じゃなくて、浅草の千束公園ででもやっていただければ、なにごともなかったのになと思う。千束公園に棲んでいるおっちゃんには「やかましくて眠れねー」と怒られるかもしれないけれど警察を呼ぶことはない。つまり大騒ぎすることでもないはずだ。
けれどテレビ村に棲まう芸人、芸能の世界に棲む者は、そもそもは非社会的な民であり、悪党であり、円環(ムラ社会)の外にいるものとしての被差別民であった過去を覆い隠すように、ムラ社会的に規範的であろうとしている。※2 それをあたしは哀しいことだと思っているけれど、テレビ村は今回も過剰に反応することになるのだろう。
※注記
- ムラ社会(非組合)の原理
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共同体は農村的「有縁」の世界。安定した同一性をそなえた空間。
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農業民。定着。土地に人々は結びつき、それを土台として権力は成り立つ。
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人々を結びつけるさまざまな「縁」でできている。
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人の社会的地位はその縁によって決定される。
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強力な「同一性」の原理が働く(縁でできた集団は、自分たちを外の人々から区別しようとする)。
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個性をならして均質なものにする。
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排他的な超越する神。「正しさ」を支える法の神。共同体の内部コミュニケーションを維持する。
(中沢新一:『芸術人類学』を要約)
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テレビという共同体と芸人の進化的戦略―加護ちゃん引退。参照
中川昭一と横山やすし。 参照