桃知商店よりのお知らせ

『カメラ日和 2009年 07月号 VOL.25』を眺める。

カメラ日和 2009年 07月号 [雑誌] VOL.25

カメラ日和 2009年 07月号  VOL.25

2009年5月20日
第一プログレス
743円+税


午前6時起床。浅草は雨。今日から町内会はお富士山の植木市なんだけれども、なんともな雨である。※1 天候がよければ「カメラ日和」なのだろうが、この雨じゃ最近偏愛しているVQ1015 Entryの出番はないだろう。

VQ1015 Entry
VQ1015 Entry
撮影したカメラ SO905iCS +Orton風 by Picnik 

カメラ日和』という雑誌を読んだ(というか眺めていた)。

人生五十年でにして初めてカメラの雑誌を買った。それもこれも「VQ1015 Entry」のおかげであって、なにしろ特集が「トイカメラ大図鑑・トイカメ事情2009」であり「Enjoy!TOYCAMERA」なのである。

ただあたしはカメラマニアでもなければ写真マニアでもなく、ただの画像マニア、それもブログに載せるための画像マニアという屈折した指向をもった人間でしかなく、つまりブログの素材としてだけの画像※2をつくる装置としてのトイデジは面白いと思っている。

あたしは写真を撮る人で、それ以上に写真を観る人で、写真を観ることは好きでも嫌いでもないけれど、毎日写真を撮る人であるあたしは、否応なしに毎日写真(というか画像)を見ている。 あたしの外付けHDDは退蔵された写真の格納庫でしかないが、たまにそんな写真をみていると過去が鮮やかに蘇る(こともある)。 しかしその「鮮やかに」は、ほんとは鮮やかなはずもなく、写真の本質(ノエマ)が『それはかつてあった』ものでしかない※3のなら、その失われたモノは想像界の楽しみだろうが、イマジネーションなんてこんなもんだよ、とデジクロは、しらっと語りかけてくる。しかしそのだまし絵のような写真に心惹かれる。※4

それはちゃんと撮れない事から生まれるノイズの面白さ、無意識層に響き渡る原始的な裂け目である。クラッシック音楽に対するジャズのように(土人のリズムである)。

面白いカメラを真面目に作れば、クラスに必ず一人はいる、アート好きな変わった子には絶対届くと信じている(笑)。※5

うん、それそれ。

※注記

  1. 過去記事を読むと昨年も雨だった。
    浅草は植木市なのだけれど生憎の雨だ。 参照
  2. 『それゆえ、「写真」のノエマの名は、つぎのようなものとなろう。すなわち、《それは=かつて=あった》、あるいは「手に負えないもの」である。』 (ロラン・バルト:『明るい部屋―写真についての覚書』:p94)
  3. パワーショベル 代表:大森秀樹さんのことば。『カメラ日和』 p36

Comments [2]

No.1

ご無沙汰しております

しかし、師匠が「カメラ日和」を読むとは!?とミクシィの更新記事タイトルを見て驚き!
そしてここへ来て「トイデジ」を持っているのに更に驚き!

カメラにか限らず、最近の若い方の傾向としては物事に対し、自分が出来ようが出来まいが、当たり前に答えが出る事に何の興味も感じない・・・・

「どんな答えが出るか判りません!」「必ず同じ答えが出るとは限りません」と言う不確実な物を求める傾向が強いですね!

ではその不確実な物を「完璧」に仕上げようとはせずに、自分の「オリジナリティー」としてしまう

なんか努力も何も無いチープなオリジナリティーですが、同じ世代のサークルの中ではOKの様です・・・・

No.2

>ハヤサカさん

おひさぶりです。
トイデジ(に限らずカメラ)の世界は、あたしからすれば島宇宙@宮台慎司であって、気持ち悪い。

しかしそれはいつも引用するフレーズを使えば

『ネットワーク化した社会を生きる大衆は、小さな自己意識の周辺に集まってくる無数の前対象を、反省に送り返すことなくイメージ化することによって、現実の表現をおこなっているに過ぎない。それはとりたててすばらしいことではないが、かといって陳腐なことでもない。(中沢新一:『フィロソフィア・ヤポニカ』:p365)』

でしかないのですが、あたしの興味はいつでもここにあるわけです。

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