迢迢牽牛星 ※1 原文 書き下し文 通釈 迢迢牽牛星 迢迢たる牽牛の星 遙かなる牽牛の星 皎皎河漢女 皎皎たる河漢の女 白く輝く天の河の女 繊繊擢素手 繊繊として 素手を擢げ ほっそりと白い手をあげ 扎扎弄機杼 扎扎として 機杼を弄ぶ サッサッと機織りの杼を操る 終日不成章 終日 章を成さず 一日かけても模様は織りあがらず 泣涕零如雨 泣涕 零ちて雨の如し 涙は雨のごとく流れ落ちる 河漢清且浅 河漢は清くかつ浅し 天の河は清らかでしかも浅い 相去復幾許 相い去ること復た幾許ぞ 二人の距離もいったいどれほどのものか 盈盈一水間 盈盈たる 一水の間あり 端麗な織女は一筋の河に隔てられ 脈脈不得語 脈脈として語るを得ず 言葉を交わせずじっと見つめているばかり
「愛」がずっと昔からあったことを証明してくれるのは神話だけである。
七夕に「かなしい」※2 がないのはこのためである。
愛の喪失が喪失されることはかなしい。かつてロラン・バルトはこういった。
父と母が互いに愛し合っていたことを私は知っている、その二人が並んでいる唯一の写真を見て私はこう思う。永久に失われてしまうのは宝のような愛である、と。なにしろ私がいなくなれば、もはや誰もそれについて証言することはできないからである。そのあとには、もはやただ無関心な「自然」しか残らないであろう。それはまことに痛切な、まことに耐えがたい別離の悲しみであるから、ミシュレはただ一人、彼の世紀の人々に対して、「歴史」とは「愛の抗議」であると考えたのである。単に生を後代につたえるだけでなく、いまや古めかしくなってしまった用語をもちいて彼が呼んでいたところの、「善」や「正義」や「統一性」などをつたえるものとしたのである。※3
ということで午前5時起床。浅草はくもり。晴れても天の川なんて見えやしないのだけれども。
※注記
- from 牛郎織女 - Wikipedia
- 『かなしいというのは、痛いとか苦しいとかそういうものでなく、それは「誰かと別れること」や「何かをあきらめること」の必然的で根源的なかなしさです。そのかなしさが、わたしら街的人間をタフにするのでしょう。』 (江弘毅:「都会」に住むのと「街」に住むのとは違う。そこを分からんとなぁ。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡)
そして 「街的」が見えない人は「かなしい」が足りないのだ。 参照 - ロラン・バルト:『明るい部屋―写真についての覚書』:p117